浄化という作用 やんばるからの手紙(43)

  • 北部
このエントリーをはてなブックマークに追加
もの言わない花を前にして、心が洗われるという作用

 沖縄という土地柄がそうさせるのかどうなのか、とにかくこの島に暮らし始めてからスピリチュアルな事象が身近になった。友人の中にも、生きてる死んでるに関わらず「霊」や「不思議なもの」の存在に敏感なタイプも多い。つい先日も「裏にある池に閉じ込められていた龍」や「毎夜出没するUFO」だったり「精霊さん」だったり、わたしのような常人には見えないものが見えるという前提で話をされた。

 初めはずいぶん面食らったが、それにも今やすっかり慣れてしまった。そしてもともと「信じるか信じないか」という2択だとすれば、迷わず「信じる」方を選ぶたちでもある。しかし、何でもかんでもというわけにはいかず、わたしなりの直感が判断の基準になっているのだけれど。

 やはり、あまりにも不幸なことを口にして、不安をあおるようではいけない。それは会話の上の優越の問題でもある。相手の感情を動かした際に抱く、全能感がとても気になる。最終的に邪悪なるものをはらったり浄化したりするにしろ、結局は相手の意識下に働きかけて、「クリーニングされた」と思い込ませることが何よりの浄化作用なんじゃないかと。

 それに、そういった意識や無意識に働き掛けるものは、たとえ選ばれし者じゃなくても、十分に作用をもらたす場合もたくさんある。なにがスイッチになるかは、ほんとにその人次第であって、だから「信じる信じない」という問いに対して、「信じる」と答えることはすなわち、この世界を肯定することでもある。

 昔、飼っている犬が行方不明になったことがあった。犬は数日後に家のすぐそばの農作放棄地で見つかったのだけれど、イノシシよけのナイロンネットに後脚がきつくからまっており、発見時にはもう脚は壊死(えし)していた。犬がいなくなっている時期と時同じくして、まったく別の場所でイノシシの死骸を見つけたり、友人宅でわたしの手がナイロンネットにからまってしまったりと、それなりにちゃんと「メッセージ」のようなものがあった。にも関わらず、犬の発見にだいぶ後れを取ってしまった。

 そのようなことがあってから、「物事というものは、ときに注意深く見ないとならない」ということを学んだ。偶然といえばそれまでだけど、ふと湧いた違和感の落としどころを「気のせい」と一蹴しないことは、「わたしにとって」とても大切なこと。ごく個人的なことだけど、直感を磨くなんらかの起因になっている。

(元フードコーディネーター)
(2017年5月16日 琉球新報掲載)



根本きこさん

根本きこ(ねもと・きこ)

  1974年生まれ。2003年逗子市に「coya」を開業。カフェブームの先駆けに。東日本大震災を機に2011年3月閉店し、沖縄県東村に夫と子ども2人で移住。現在は名護市に暮らす。2013年4月から琉球新報でコラム「やんばるからの手紙」を好評連載中。雑誌にエッセーを連載、著書「島りょうり 島くらし」「おとな時間」など多数ある。




前の記事葉月里緒奈 夫と娘残して選んだ「...
次の記事神田沙也加 招待状を送った「意外...