歩いて見つけた 石獅子探訪記(その17) 想像して修復してみよう!の巻

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 石獅子が一番初めに造られ設置されたのは、約330年前の八重瀬町富盛の石彫大獅子と言われています。それから徐々に村民に守り獅子として広まり南部を中心に広まってきたわけですが、戦争や道路拡張工事などで手荒に扱われ破損しているものも多いです。

 見るたびに、「おおお~~もったいない!」と思います。

 形を見て、周辺の村との関係や、時代背景、作者の制作癖、村民の思い、何に影響されているかなど様々なことがわかってくるので、がっくりします。

 そこで今回は、私が毎回見るたびに頭の中で勝手にエアー修復しているイメージ図を描いてみます!

 皆さんもぜひ、本当はこんな石獅子ではなかったのではないかと想像して描いてみてください(#^^#)。



糸満市真栄里


 真栄里公民館の南側住宅街の道路沿いに位置しています。

 表情は少し幼い顔で子獅子といった感じです。後ろ脚が欠けていています。糸満市の石獅子の特徴は照屋の石獅子を除き、ひとつずつが面白い顔をしており、やや大きめです。

 石質はそれほど良いとは思いませんが南部ということもあり大きな石が調達しやすかったのだと思います。
 





宜野湾市喜友名の
メートーヤマ前のシーサー


 集落の北側にあり北北西の方向を向いています。この石獅子は、「ウィユクイビラ」と呼ばれている石積みの上に置かれていたそうです。

 市道の道路拡張工事を行っている際に喜友名の区長さんがもしかしたらシーサーが出てくるかもしれないと工事を見守っていたところ土の中から発見されました。胴体らしきものも出てきましたが、思うようにくっ付かず石の質も違い色も異なることから信ぴょう性は低そうです。

 なので、わたしが全体図を描いちゃいます!





南城市玉城前川


 前川部落の主道路沿い高台に南側を向いて安置されています。

 顔面は、大きくえぐれており表情は全く分からない。生首だけが、どこかに潜んでいるのではないかと思うほどバッサリと無くなっていています。銃弾の跡かは不明ですが背中にも大きな穴がたくさんあります。

 近くの広場に、同じ人物が作ったと思われる石獅子があります。首里城の瑞泉門の獅子に装飾されている首飾らしきものもあり、その他、耳の部分にも幾つかおしゃれな装飾が細かくされております。

 石獅子が作られてきた時代では早い時代に作られたのではないかと思います。





(2017年5月5日  週刊かふう掲載)




 各地に鎮座する村落獅子を訪ね歩き、調査を続ける若山夫妻。石獅子をめぐるレポートを毎月お届けします。





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