絢香のCDジャケット、一番搾り デザイン担当は沖縄出身のデザイナー 波平昌志さんインタビュー

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 船の上から眺める海と水平線がデザインされた爽やかなパッケージの「キリン一番搾り 夏冴えるホップ」、歌手の絢香さんのデビュー10周年記念アルバム、坂口健太郎さん、miwaさん主演の映画『君と100回目の恋』のポスター。誰もが一度は目にしたことのあるこれらの作品のデザインを担当したのが、沖縄出身のデザイナー波平昌志さん(32)だ。沖縄県内の広告代理店を経て、2015年から人気アートディレクター森本千絵さんのデザイン事務所「goen゚」(ゴエン)で働く。業界トップのアートディレクターの右腕として活躍する波平さんってどんな人なのでしょうか。



絢香さんのCDやキリン一番搾り夏冴えるホップなどこれまで担当した作品と波平昌志さん=沖縄県宜野湾市

波平昌志(なみひら・まさし)

1985年生まれ。北中城村出身。北中城中、普天間高校、沖縄県立芸術大学デザイン専攻、同大大学院を経て、2011年、株式会社エマエンタープライズ入社。2015年から森本千絵さんが主宰する「goen゜」で働く。



―これまで手がけた仕事を教えてください。

 分かりやすいものでいうと、最近は「キリン一番搾り 夏冴えるホップ」「キリン一番搾り 若葉香るホップ」のパッケージ、シンガーソングライターの絢香さんのデビュー10周年記念アルバム「THIS IS ME~絢香10th Anniversary BEST~」、映画『君と100回の恋』のポスター、坂本龍一さんのオリジナル・サウンドトラック「母と暮らせば」CDジャケットなどです。あと宮城県南三陸町の「南三陸志津川さんさん商店街」のサインデザインも関わらせてもらいました。


限定発売された「キリン一番搾り夏冴えるホップ」(左)と「キリン一番搾り若葉香るホップ」。絵画のようなデザインに谷川俊太郎さんの詩が書かれている

絢香さんのデビュー10周年記念アルバム「THIS IS ME~絢香10th Anniversary BEST~」

宮城県南三陸町の復興のシンボルでもある南三陸志津川さんさん商店街のサインデザイン

~ 作品ギャラリーはこちら ~
 


―具体的にどんなことをしているんですか?

 アートディレクターとして関わる仕事もありますが、基本的にはコンセプトを決め、企画の大筋を考えるのは森本です。僕は森本のアイデアを企画書やデザインに盛り込んでいきます。絢香さんのCDジャケットでは森本が楽器の木の原画を描き、美術スタッフが実寸大の木を作り、僕はそれをグラフィックに展開し、テキスタイルまでデザインしました。


絵を〝封印〟していた
中学、高校時代


―大きな仕事をたくさんしていますね。どんな子どもだったんですか?やっぱり小さい頃から絵や図工は得意だったんですか?

 いいえ。本当に普通の男の子。道のそばにある川に入って遊んだり、穴掘って遊んだり、秘密基地を作ったり。ゲームをしたり。少し足が速かったので駅伝や中距離をしたり。絵や図工は得意でしたが、人に見せたりはしなかったです。

―なぜ?

 小学校4、5年生の頃、ゲームのキャラクターを描いていたら女子に「キモイ」って言われた。それが意外とショックで…、それからクローズ(笑)。オープンにしたのは授業中に描く先生の似顔絵くらい。絵の具も持ってなかったんです。

 高校時代の選択授業は美術を取らずに音楽を取ってたんです。絵の具買わなきゃいけないからお金もったいないな~と思って、お金がかからない音楽を選択した。

―絵の具も持ってない高校生がなぜ芸大に?

 高校3年生になり進路を決めるときになって、少し絵がうまかったので、それを活かせる職業がいいと思って、専門学校に行こうと考えた。

 父にそれを伝えると、父は新聞を広げて「昌志、沖縄県立芸術大学っていうのがあるぞ。県立だから専門学校より学費も安いし、県内ではレベルも高いらしいよ」と言って沖縄県立芸術大学を教えてくれた。僕も「学費も安くてレベルも高いならそこしかないでしょう」と(笑)。それで芸大を受験することに。受験を意識して写生大会などに出してみたら入賞して「いけるかも!」と思ったんです。芸大、美大受験専門の塾があることを知って、夏から通い出した。そこで初めてデッサンの存在を知ったんです。立体的に描けるのが楽しくて楽しくて。イラストレーターになりたいと思うようになったんです。


絵を描けるだけではダメだ!
と気付いた大学時代


―芸大に入ってみてどうでしたか。

 もともとシャイだったので、説明が苦手で、話しているうちに自分が何を言っているのか分からなくなって、だんだん声が小さくなっていって、最後は話すのをやめちゃう。それに対して県外から来た人はよくしゃべる!衝撃でした。説明も上手でかっこいいと思った。

 絵を描くって言葉はいらないと思っていたけど、何かを伝えるためにデザインをするには、コミュニケーションを取ったり、言葉がないといけないことに気付いたんです。それでうまくなりたいな~って。そのときに有名な芸人さんがテレビで「野球がうまくなりたかったらボールを投げる。話がうまくなりたかったら話すしかない」と言っているのを見て、なるほどと。それからしゃべりが上手になるために、おもしろいと思った同じ話を何人かに言って、反応を見ながらブラッシュアップさせる練習をし始めました。大学の中庭で友人とその友人が持っているものに対して「これどうしたの?」と質問して、聞かれた瞬間に「これはですね!」と答える練習をしたり。

―話す練習をするって本気で悩んでいたんですね。

 実は大学2年生の時に数人の同級生で「会社を作ります!」と何かの授業で宣言したんです。そしてなぜか僕が社長担当。そしたら教授に呼ばれて、「波平、会社を作ったのか。これやってみるか?」と産学共同のTシャツデザインの仕事をもらえて、そこから中心になって何かをやることが多くなった。

 その時は本気で、卒業したら会社を作るんだと考えていたので、社長になるってことはデザインだけじゃなくて、売り上げを上げるために営業をしないといけないし、しゃべりも上手にならないといけない。いろんな知識が必要となり、興味の範囲が一気に広がり、考え方が変わりました。

 大学院に進んだ時に、大学内に絵のうまい子がたくさんいるのに、学外の人に発表する機会が少なく、人の目に触れていないことに気がつきました。そこで商品にして販売したり、話題になるような企画を考えたら、たくさんの人に届くんじゃないかと思って、週めくりカレンダーを作ることに。週めくりだから53枚の絵が必要で。24人の学生に割り振った。ムーチーとかハーリーとか、その週にあるものをモチーフに描いてもらって。作家が違うからいろんなタッチがありました。


大学院時代に後輩たちと作った週めくりカレンダー「wakuwaku53」。沖縄の行事をイラスト化してあしらった

週めくりカレンダー「wakuwaku53」を一緒に制作した県立芸大の仲間たち。写真中央が波平さん=2010年4月

 売るために書店に紹介してもらったり、イベントをしたり。社会は学生がやることに優しいんです(笑)。書店でも「こんな目立つところに置いてくれるの?」という場所に置いてくれました。この経験を通して企画、割り振り、入稿、営業という一連のことを学べたし、外とのやりとりの楽しさを知りました。


日本を代表するアートディレクター
森本千絵さんの元で


―森本千絵さんとの出会いは?

 2001年に森本さんはMr.Childrenのジャケットの仕事で、沖縄を訪れ、その作品でいくつもの賞を総なめにしていた。

参考記事:ミスチルのポスター制作 城間尚千さん(伊豆味中2年) - 琉球新報

 それがきっかけで県立芸大でも授業をするようになっていて、僕は2年目の授業に出ました。沖縄の道具を使った製品の企画・アイデアを考えるとか、とてもおもしろい授業でした。それから毎年沖縄に森本さんが来るたびに飲みに行くようになりました。

 僕は大学院修了後は県内の広告代理店に勤めていたんですけど、そのときに副業で作ったCDジャケットをSNSにアップしたら「CDいいね。すばらしい」とメッセージが来て、それで「いつgoen゜来る?」と。その前からなんとなく誘われているような気はしていたのですが、僕には絶対無理だと思っていました。

 理由は2つ。1つ目は森本さんの作品は、なんだかアートを感じるデザインで、割と個性の少ない僕のデザインとは方向性が真逆。2つ目は東京のトップクラスの仕事についていけるか自信がなかった。でもそのとき「私にはないものを持っているからそれを生かしてほしい」と言われました。それなら僕は僕の得意なところで頑張ればいいと思いました。沖縄で務めていた広告代理店ではデザイナーを3年、プランナーを1年していました。会社も僕にいいアートディレクターになってほしいといろんな経験を積ませてくれました。とても感謝しています。でも30歳の節目に東京で頑張ってみたい、もっと力を付けたい、チャレンジしたいという気持ちも生まれていたんです。


―業界の第一線で働き出して2年。自分が手がけた物が世の中にあふれるってどんな気持ちですか?

 自分の持ち物が突然、外に現れた感じ。仲のいい友だちと外でばったり会った感じかな。絢香さんのCDジャケット、グッズの時はファンの方が「かわいい」「ほしい」と言ってくれました。FBでアップすると友人たちが「すごいね」と言ってくれたのはうれしかった。

 デザインができてお客さんが気に入ってくれた時と、お客さんの向こう側の反応が感じられた時にこの仕事のやりがいを感じます。いろんな大変だったことがスコンと抜けて「またやりたい!」となっちゃいます。

 いつか、森本さんのように多くの人の気持ちを動かせるような、企画やデザインで、世の中にインパクトを与えられるようになりたいです。



~ この記事を書いた人 ~


 玉城江梨子(たまき・えりこ) 琉球新報Style編集部。琉球新報の記者として10年余り沖縄各地を取材。沖縄の本当の良さを全国の人に届けたいと思っています。

 



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