昆布は東アジアの宝物! マブイロードを歩くVol.4

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 亜熱帯の過酷な自然環境ゆえ、沖縄は食材が乏しく、厳しい食生活を強いられた歴史があります。

 そんな不利な条件を克服するために、島の人々は古来、海外から多種多様な食品を仕入れ、工夫を凝らした食文化を築きました。

 昆布料理もそのひとつです。今日はその昆布と沖縄の関係を探ります。

 

 タケルの変身も4週目になるとだいぶ様になってきましたね。でも、龍神ガナシーにインスパイアされ、特訓を重ねたスーパーメーゴーサーは初っぱなから不発でした。
 


マジムン軍団の足、トゥクトゥク

 そんな姿を見かねたマジムン軍団のアカマタデービルは、「目的意識をもって、心を込めて打ち込みなさい」とアドバイスします。彼は優しい性分なのか? ただのマヌケなのか? いえいえ、善と悪という立場は違ってもお互い新人同士。きっと激励の気持ちが湧いたのでしょう。

 というわけで、今回のテーマになった昆布の話を始めましょう。
 


昆布ロード


 くーぶいりちーをはじめ、行事食や汁物など、昆布は琉球料理に欠かせない副菜です。でも、昆布は北海道で収穫される海藻類です。沖縄で採れない昆布がなぜこの地に定着したのでしょうか?

 江戸時代、昆布は主に日本海を行き来した廻船問屋(かいせんどんや)が扱っていた食材で、北前船(きたまえせん)と呼ばれる船が蝦夷地(えぞち)(北海道)の松前から富山、長崎、大坂などに運んでいました。

 長崎が経由地のひとつになっていたのは鎖国によって貿易港が限られていたからで、富山の商人はそこで中国人と取引を行っていたのです。

 昆布は甲状腺の病に効く薬膳として中国ではたいへん重宝され、富山商人は昆布を売るかわりに薬種を輸入しました。富山といえば薬売りが有名ですが、彼らは壮大な商圏と特別な輸入ルートを持っていたのですね。

 その昆布に目をつけたのが薩摩藩です。藩内で富山の商売を認めるかわりに薩摩藩の支配下にあった琉球へ昆布を搬送するよう求めたのです。

 こうして18世紀末頃から琉球の進貢貿易品に昆布が加わりました。これぞ日本・琉球・中国を股にかける「昆布ロード」の発祥です。薩摩藩はこれによって巨万の富を得たばかりでなく、後の明治維新を成就させる資金源にしたといわれています。
 

琉球と好相性だった昆布

 一方、昆布の経由地になった琉球も思わぬ恩恵に授かりました。交易の規格に外れた昆布が市場に出回ったのです。年中温暖湿潤で食材が傷みやすいこの島では、長期間保存可能な乾物類が好まれました。沖縄はいまでも干し椎茸や切り干し大根、そうめんなど他府県産の乾物類が頻繁に利用されていますが、昆布もその代表格として定着したのです。
 


琉球料理のもうひとつの主役、昆布。豚肉との相性は抜群

 ところで、本土では昆布は主にダシとして利用され、使用後は捨てられています。これは実にもったいない話。昆布は高血圧を防ぐカリウムや植物繊維が豊富に含まれるヘルシー食品だからです。

 沖縄はつい最近まで昆布の大量消費県でしたが、残念なことに近年は消費量が激減し、伝統料理の一角が崩れようとしています。

 北辺の産地からもたらされた昆布は沖縄の食生活を支え続けた海の宝物。長寿県復活のためにも積極的に食卓にのせたい食材です。

文・仲村清司
写真・武安弘毅

昆布はエライやっさー。
勉強になったねぇ




     


琉球創世神が眠る浜比嘉島

 伝承によると琉球開闢(かいびゃく)の神・アマミチュー・シルミチューの二神は最初に久高島に降り、ついで勝連半島沖の津堅島に上陸したとされています。


アマミチューが眠るアマンジ

 ところが島は水源が乏しいため、二神はさらに浜比嘉島の南部に移り、洞窟で暮らしたと伝わっています。これがシルミチューと呼ばれる霊場です。

 島の東方海岸にはアマンジという小島があり、岩礁に囲まれるようにアマミチューの墓があります。五穀豊穣や子孫繁栄を祈願する重要な聖地で、シルミチューやその他の神々も祀られています。

 全島に三十数カ所もの拝所が存在する浜比嘉島。沖縄を代表する信仰の島として、いまも参拝者が絶えることがありません。
 



 

 

 


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