浅田真央がおひとりさま映画鑑賞 物語と重なる亡き母の思い出

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10月31日、新横浜スケートセンターで行われた風邪薬のCM発表会に、姉の舞と一緒に出席した浅田真央(27)。姉妹の旅行計画はいつも自分が立てていると、冗談交じりに“姉への不満”をぶちまけて、会場をわかせていた。

それから数日後の夜9時ごろ、東京・渋谷のとある映画館から、足早に出てくる真央の姿があった。外は雨模様だったが、傘の用意がなかったのか、そのまま茶色いコートの襟元を寒そうに手で押さえながら歩き出す。信号待ちをしていたところで、本誌は声をかけた。

——こんばんは、女性自身です。今日は渋谷でお買い物ですか?

「映画を観てたんです」

——さしつかえなければ、何の映画ですか?

「バレエの映画です」

この10月、モデルで元フィギュアスケート選手のフランス人、ロマ・トニオロ(27)とのデートが報じられたばかりだが、周囲に男性の姿はなかった。

——今日は、お一人でご覧になったのですか?

「プライベートなので……。すみません」

そう言い残して、渋谷の人波へと消えて行った。彼女が観たフランス映画のタイトルは『ポリーナ、私を踊る』。貧しい家庭に育った天才バレエ少女が、さまざま苦悩を抱えながらも“自分らしさ”を求めて成長していくという物語——。実は真央も、3歳のときにバレエを習い始めた“天才少女”だった。

「そもそも彼女のお母さんにはかつて『バレエダンサーになりたい』という夢があって、それを娘に託したのだとか。フィギュアスケートも足首の強化になるからと“バレエのために”始めたそうです」(スケート関係者)

しかし、幼い真央はフィギュアの面白さに夢中になった。その姿を見た母は、何も言わず練習に付き添い、娘の才能を伸ばしてあげたいと心血を注いだ。

「朝練は5〜6時に始まり、夜も11時ごろまで。送り迎えなどすべてやって、睡眠時間もあまりなかったと思いますよ。母親だからできたんでしょうね」(真央の親戚)

バンクーバー冬季五輪で銀メダルを獲得して最初に誰に見せたいかと問われたとき、真央は迷わず「お母さん」と答えた。だがその母・匡子さんは1年10カ月後の'11年12月、48歳の若さで急逝する。

あれから、もうすぐ6年。今年4月に現役引退を表明するまで、母親に代わって「心の支え」となっていたのは、姉・舞だったのかもしれない。

「東京には2人が暮らすマンションもありますが、お互いが“いい距離感”で共同生活をしているようですね。姉は早くから芸能の仕事をしていましたから、引退を機に『真央もチャレンジしてみたら?』といった話をしたようですが、真央自身はアイスショーや後進育成、解説など、スポーツ関連の仕事を中心にと考えているようです」(芸能関係者)

命日を前に、母の夢だったバレエの映画を観に出かけた。それは母への追慕と同時に、何かの“決断”を前に、自分の原点を確かめる時間だったのではないだろうか——。

 

 

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