沖縄には各地に心霊スポットがあります。
那覇のど真ん中にも「十貫瀬(じっかんじ)の七つの墓」という怪談話が伝わっています。
今回はその現場を訪ねてみることにしましょう。
昨日放送された美栄橋近くにある七つ墓の幽霊伝説はいかがでしたか?
死んでも我が子を思いやる母の愛には心を打たれるものがありましたね。
実は京都にもこんな話が伝わっています。
昔々、夜も更けた頃、あるお寺の山門近くの飴屋にひとりの女が訪れた。
青白い顔をした若い女は「飴をください」と、か細い声で言う。主人が飴をやると女は一文銭(いちもんせん)を一枚渡し、何処(いずこ)ともなく帰っていった。
女は夜ごとやってきて飴を買った。六日目の晩、不思議に思った主人は女のあとをつけた。女は灯りも持たず、漆黒(しっこく)の闇夜を歩いて行く。気づけば辺りは広大な墓地が広がっている。その墓のひとつに女は吸い込まれるように入っていった。
怖じ気づく主人の耳にかすかに泣き声が聞こえた。
「気のせいか? いや確かに、声がする」
慌てて土を掘り返し棺のふたを開けてみると、女の亡骸(なきがら)の横で生まれて間もない赤ん坊が飴をしゃぶりながら泣き声を上げていた。
「何と言うことだ。亡くなった母親が墓の中で赤ん坊を産み、お乳の代わりに飴を与えていたのか!」
女は幽霊になって店に通っていたのである。女のあまりに切ない心を哀れんだ主人は棺の前でぼろぼろと涙をこぼした。
夜が明けると主人は寺の僧侶を呼び、母親の亡骸を手厚く葬(ほうむ)った。
各地にある子育て幽霊伝説
同じような伝説は長崎や島根など、日本各地に伝わっています。京都ではその名も「幽霊子育て飴」という飴屋が現在も営業しています。
さて沖縄の七つ墓の話ではお金が「ウチカビ」に変わっていましたが、他府県では一文銭になっています。
地獄の沙汰(さた)も金次第という言葉があるように、当時の仏教説話では三途(さんず)の川の渡し賃として、一文銭を六枚、つまり六文銭を棺に納める慣習がありました。幽霊は我が子を育てるためにその六文銭を払って飴を買ったわけです。
七つ墓の由来とは
ところで、京都の幽霊伝説は鳥辺野(とりべの)とよばれる平安時代から続く墓場が舞台でした。実は七つ墓周辺も昔は墓地地帯で現在も所々に古い形のお墓を見かけます。七つ墓の由来も古墓が七つあったことにちなんでいます。
あるいはもしかすると、美栄橋が架かる久茂地川も、昔はあの世とこの世を分ける三途の川とみたてられていたのかもしれません。そう考えると七つ墓は幽霊伝説にふさわしすぎる場所と言えそうです。
さてハブデービルは前回に続き、この世の者ではない美しい女性に恋心を抱きました。どうやら彼は見た目に寄らず恋多き男のようですね。恋の虜(とりこ)という言葉もありますが、よもやマジムンがマジムンに取り憑(つ)かれる、なんてことがないよう、冥界(めいかい)のロマンスはほどほどに……。
文・仲村清司
写真・武安弘毅
怖いけど切ない物語ね。
母は死しても強し!
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ウチカビは外貨だった!
清明祭(しーみー)や旧盆などの祭事に欠かせないツールがウチカビです。漢字を当てると「打ち紙」。文字通り、槌(つち)で叩いて「銭形」をつけたもので、沖縄では死後の世界の通貨と信じられています。
先祖供養を行う際はウチカビを燃やして、あの世でもお金に不自由しないようにと願をかけます。実のところ、ウチカビは舶来品。現世利益やマジナイを重視する中国の道教由来のもので、沖縄には14世紀後半に福建省から伝わりました。
つまりこの紙幣は「円」ではなく、中華圏で流通する冥土の「外貨」というわけです。はたしてウチカビは通貨として強いのかどうか、あの世のレートが気になるところですね。