ハタチのモンパチが打ち明けた〝あの頃〟のこと MONGOL800結成20周年インタビュー〈上〉

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 沖縄県出身バンドのMONGOL800(モンパチ)が今年で結成20周年を迎える。インディーズながら2001年のセカンドアルバム「MESSAGE」は300万枚以上売れた。地元沖縄を拠点に、自然体で第一線を走り続けている。メンバーの上江洌清作、儀間崇、髙里悟に20年の歩みや今後の展望を聞いた。

(伊佐尚記)


〈写真左から〉高里悟(ドラム) 上江洌清作(ボーカル・ベース) 儀間崇(ギター)

原点はハイスタ


―20年間は長く感じるか、短く感じるか。


上江洌

どっちもかな。高校1年から一緒なので、長いといえば長い。


髙里

10周年以降はあっと言う間だった。


儀間

早いといえば早いし、長いといえば長い。気付けば20年という感じ。


―楽器を始めたのはいつか。バンド結成のきっかけは。


儀間

中学1年の時に親父に言われてギター教室に通った。自分を浦添のジミヘン(ジミ・ヘンドリクス)だと思っている先生だった(笑)。高校1年の時に「バンドやりたい」と思って、清作がベースを弾いてると聞いて(一緒に始めた)。ドラムはころころ変わって悟になった。


上江洌

もともとはコピーバンドだった。ボーカルもいて4人だった。


髙里

僕だけ(楽器の)スタートが遅くてバンドを組んだ時に始めた。


上江洌

最初にベースを持ったのは中学3年の時。文化祭に出るためにブルーハーツの「夢」と「すてごま」をコピーした。友達がその楽譜しか持ってなくて。しかも指で弾いてた(笑)。(楽器は)何でもよかったので残り物のベースを弾いた。


―影響を受けたミュージシャンは。


上江洌

僕はブルーハーツとハイスタンダード。


髙里

僕はバンドじゃなくてJポップを聴いていた。ブルーハーツとハイスタを聴いて、こういう音楽があるんだって思った。


儀間

最初はブルーハーツをコピーしたけど、ケーブルテレビでハイスタを見て「これやろう」って思った。ハイスタの影響はでかい。


―3人の関係性は友人から仕事仲間に意識が変わっていったか。


上江洌

あまり意識したことない。仕事と遊びの境目なく動いている。


髙里

家族みたいなところはあるかもしれない。


紅白2回断った


―セカンドアルバム「MESSAGE」でブレークした時は大学生だった。


上江洌

音楽で食っていくと思っていなかった。4年間は学業を優先して、ツアーも休みにしかできなかった。学校に行って週末はライジングサン(ロックフェスティバル)に出る、みたいな。「あなたに」がライオンのCMに使われたり、全国に知ってもらえたりしたけど、そんなに売れているという当事者意識がなかった。


髙里

あまり(メディアに)顔を出してなかったのが良かった。通っていた徳島の大学の学食とかでモンパチの話をしている人がいるんだけど、僕のことが分からない。だから過ごしやすかった。


儀間

車の整備士になると思っていたし、ミュージシャンになろうと話し合ってなったわけではない。流れですね。


髙里

僕が5年大学にいて、卒業後に初めて全国ツアーをして、自然と(本格的な活動に)入った。


上江洌

おのずと沖縄が拠点になった。CDが作れて、県外でもライブができて、ある意味満足していた。東京に出てああしたいという目標もなかった。学業優先で紅白歌合戦も2回断って。それから来ないですね(笑)。


―「MESSAGE」で音楽性が変わったという感覚はあったか。


髙里

いや、時期的にもファーストアルバムから離れてないし。清作が曲を作る中で思うことはあったと思う。シリアスな曲やコードもかっこいいなと思った。


儀間

使えるコードが増えた(笑)。


上江洌

当時、ギターが弾けないからベースで曲を作っていた。だからベースのイントロが多い。


髙里

夏休みにぱっとレコーディングして徳島に帰った。休み前に別の人にドラムをお願いして録音したデモテープを送ってもらって。


上江洌

アルバム発売が米同時多発テロの1週間後だったのはちょっと不思議、気持ち悪いなと思った。書いている内容がリンクして。


髙里

戦争を改めて意識させることが起こった。


上江洌

ジャケットの写真は大学の図書館で見つけた。戦前の沖縄とか、米兵とか。1周して今の沖縄の雰囲気にも近いけど。


儀間

本土の人には衝撃的な写真だったみたい。


―平和への思いは3人とも共通しているのか。


髙里

小さい時から沖縄戦について勉強してますからね。


上江洌

偏った思想があるわけでもなく、生活する中で出てきた言葉だ。最近も保育園、小学校に(米軍機から)物が落ちて、SNSで「沖縄やばい」って書かれてるけど、内地は全然知らないんだなって思う。


フェスも開催


―2009年から音楽フェスティバル「ワッタァ・ワンダフル・ワールド」を始めた。


上江洌

都市型より地域色の出ているフェスが沖縄でやりたかった。1回目はライジングサンをイメージして朝までやって、大変だった。夜中に与世山澄子さんに出てもらったのは最高だった。あの頃、与世山さんの「ワット・ア・ワンダフル・ワールド」をよく聴いていて、出演してもらった。それで何となくフェスの名前にした。

1回目は前日にバーベキューをして、交流の場をつくった。バックステージの充実は大事で、よく喜ばれるのは泡盛「残波」のかめ。バンドの名前を入れてプレゼントしている。


MONGOL800が主催した音楽フェスティバル「What a Wonderful World(ワッタァ・ワンダフル・ワールド)!! 16」で「小さな恋のうた」を熱唱するMONGOL800=2016年11月、豊見城市の美らSUNビーチ

儀間

この3人はもてなすのが好き。楽しんでやっている。出演者もみんな楽しそうで酔っ払って帰らない。「もう帰れ」って言うくらい(笑)。


髙里

天気も大変だったけど、2016年は大当たりだった。


上江洌

2000年代の初めはもっとバンド間でバチバチしてた。でもそこでつながった人たちは今も仲いいし、それがきっかけで輪が広がっていった。


―フェスに大御所も呼んでいる。


髙里

清作がいろんなところでコラボレーションして、人脈も広がった。


上江洌

大御所にも鍛えられた。小田和正さんがテレビでモンパチの曲を歌ったと聞いて、「ライブ見に来てください」と言ったら、本当に来てくれた。後輩の面倒を見る律義な人。おときさん(加藤登紀子)もモンパチのカバーをしてくれた。古謝美佐子さんを紹介してくれたのもおときさん。




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