シャキッと食感 お手軽に チントゥーイのピリ辛炒め

  • 北部
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 西洋なしのような形をした薄い緑色の果実。熱帯アメリカ原産のチントゥーイ(ハヤトウリ)だ。スーパーではあまり見掛けないが、国頭村ではなじみの食材だという。「あちこち自然に生えていたし、昔は何もなかったからよく食べていたよ」と話すのは、国頭村比地の神山エツ子さん(80)。手軽に作れるピリ辛炒めを教えてもらった。


ベーコンがこんがり焼けて、チントゥーイがしなったころできあがり=16日、国頭村

 16日、エツ子さんの自宅を訪れると、かごいっぱいに入ったチントゥーイがテーブルの上に置かれていた。自分の畑から採ってきたという実は、手にするとずっしりとした重みがある。「農薬を使わないでもたくさんなるわけさ。育てるのは簡単よ」と話す。

 実が若いうちに収穫して、皮をむかずに調理するのがエツ子さん流。水で流しながら実をこすり洗い。包丁で縦半分に割り、真ん中にあるタネを取り除く。酵素が多くてアクがあるため、水で流しながら作業するのがポイントだという。

 「たくさん入っていたほうがうれしいさ」というベーコンと一緒に中火で炒める。庭から採ってきたトウガラシを輪切りにして加えて完成。ほのかな辛みと独特の歯応えがマッチし、ごはんが進む。

 他にも、ごまドレッシングであえたサラダを作ってくれた。水を入れたボールの中で、流水にさらしながらしりしり器で実を細かくスライスしていく。さっと湯がいたらよく水を切る。ごまドレッシングであえると、独特の青臭さを感じにくくなる。「面倒な時はそのまま食べもするよ」と、湯通しする前のものも食べさせてくれた。しゃきしゃきとした食感が口の中に広がる。





 国頭村奥間出身のエツ子さんは、6人きょうだいの4番目で長女。幼い時から食事を用意するのはエツ子さんの役目だった。沖縄戦中は妹をおんぶし、家族で北部の山中を逃げ回った。戦争が終わり、山を下りると集落の家々はほとんど焼かれていた。家族で親戚宅に身を寄せ合って生活した。

 その直後、栄養失調で妹2人が立て続けに亡くなった。亡くなる間際、妹は「おかゆが食べたい」と訴えていたが、食べ物はほとんどない。親戚に頼んで少しばかりのコメをもらうのがやっとだった。2人が亡くなって間もなく、米軍から食料の配給が始まった。「妹たちの口に配給品は入らなかった。もう少し早かったらね。親は複雑だったはず」と語った。

 同村比地に嫁いだ後は、農業に従事。サトウキビやタンカンを栽培した。農協婦人部の料理教室に参加するなど、積極的に活動した。取材中、近所の人が自宅を訪ねてきたり、電話があったり。エツ子さんは友人たちが来ると「持って行って」と自慢の手料理を惜しげもなく渡す。「体が痛かったりするけどね、料理を作ってると痛みは忘れるよ」。穏やかな笑顔と、おいしい料理。人が集まる理由が分かる気がした。


文・前森智香子
写真・具志堅千恵子


(右から)チントゥーイとベーコンの炒め物、豆ご飯、チントゥーイのごまドレッシングサラダ、国頭村産のタンカン


チントゥーイ

 和名はハヤトウリ。大正時代、最初に鹿児島県に渡ってきたことから命名された。ウリ科で、沖縄では11~2月ごろまで実を収穫できる。

 漬け物や炒め物にするほか、煮崩れしにくいので、汁物にも使われる。実ができる前の若い芽は、ゆでて食べることができる。

 沖縄協同青果によると、県内での出荷量は年間100キロ程度と非常に少ない。




(2018年1月30日 琉球新報掲載)



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