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「みんな一緒」で配慮を 100cmの視界から―あまはいくまはい―(19)


この記事を書いた人 仲程 路恵

 小・中学校の9年間、養護学校(現特別支援学校)に通った私は、高校は県立首里高校に進学しました。20年前の首里高校は階段しかない5階建て。車椅子での学校生活が大変なことは間違いなしでした。

 私の入学に合わせ、車椅子用トイレは設置されたのですが、一番の問題はやっぱり階段移動。私は1階、2階、3階に車椅子を1台ずつ置きました。入学して初めての移動教室は2階の生物教室。私の後ろの席に座る、知り合ったばかりのクラスメート2人にお願いし、手伝ってもらいました。1人の友だちが私を抱っこして階段を上がり、2階に置いてある車椅子まで移動します。あと1人は教科書や筆箱などの荷物を、私の分と、抱っこをする友だちの分を持って移動してもらいます。きっと友だちも不安だったでしょう。休み時間内での移動を無事クリア! 移動教室を重ねるごとに、私が声を掛けなくてもまわりの友だちが「次どうする?」「一緒に行く?」と聞いてくれるようになりました。

車椅子でも踊れるようにアレンジした体育祭のフォークダンス

 首里高校は当時1学年11クラスで、1年生は1、2階、2年生は3、4階、3年生は4、5階をホームルームに使っていました。私も1年生は1階、2年生は3階の教室。3年生は4階かな? と思っていたら、なんと私の学年は3年生全クラス、1、2階に配置されたのです。今まで続いてきた配置を、車椅子の私の便利さ、安全面を優先して変更してくれたのです。

 障害のある人に配慮をするとき、特別支援学校や支援学級のように、その人だけを離してサービスを受けられるようにすることがあります。でも当時の首里高校は、私のクラスだけを1階にするのではなく、11クラスすべてを変更してくれ、私はそれがとてもうれしかったです。

 「みんなちがって、みんないい」とよくいわれる今。「違うのだから特別なサービスが必要で、そのために分けることはいいこと」と考えがちです。でも「みんなが同じ場所で過ごす中で初めて『みんなちがって、みんないい』が生まれる」のです。私は、体育祭のフォークダンスの際、車椅子でできない動きはアレンジして一緒に踊り、台が高くて届かない生物の実験では、実験台に座ってやりました。教室掃除もさぼったらしかられました。建物が整っていなかったからこそ助け合いの絆が深まり、一緒に過ごすことが当たり前でした。

 もうすぐ新年度。「障害のある人への合理的配慮」を考える学校や職場の皆さん、建物などのハード面だけでなく「みんなが一緒に過ごすためには?」「本人の希望は?」を大切にしながら準備をしてみませんか?

(次回は19日に掲載します)

伊是名夏子

 いぜな・なつこ 1982年那覇市生まれ。コラムニスト。骨形成不全症のため車いすで生活しながら2人の子育てに奮闘中。現在は神奈川県在住。

 

(2018 年3月5日 琉球新報掲載)