日本最南端・波照間島に広がる「金」とは!?【沖縄たべものがたり】(vol.7)


この記事を書いた人 仲程 路恵
波照間のもちきびは実が太っていて黄色が鮮やか

「波照間島の特産品は?」と聞かれたら、何を思い浮かべますか?

黒糖でしょうか? 黒糖も間違っていませんが、実はもちきびも特産品なんです。ご飯に入れて炊くと、モチモチしてとっても美味しい! 鮮やかな黄色の雑穀ですね。

5~6月頃に波照間島へ行くと、収穫を前に穂を垂れたもちきびが島のあちこちにあって、こんなに作っていたんだ~と驚きます。

波照間島の生産量は全国2位!

もちきびはコンバインで収穫

波照間島のもちきび生産量は、一番新しい2014(平成26)年度の資料では全国第2位! 年間約30トン、多い年で40トンほど栽培しています。

どのようにして生産量を算出しているのか、もちきび農家さんに聞いたところ、担当者が作付面積をなんと目視で図っているというではないですか。生産量に関しても個人販売している人もいるため、「もしかしたら全国一かもしれないね~」と、なんともテーゲー…沖縄的な答えが返ってきました(笑)。

一面のもちきび畑

もちきびは主に渡名喜島、粟国島、波照間島、この3つの島で栽培されていますが、ダントツの収穫量を誇るのは波照間島です。

もともとこの島々には粟やキビなどの雑穀がありました。なぜもちきびだけが増えていったのでしょうか?

もちきび栽培が盛んな理由

南西諸島における雑穀栽培の歴史を知る上で大いに役に立つのが、農家さんからの聞き取り調査を基に書かれた書籍「南島の畑作文化 畑作穀類栽培の伝統と現在」(嘉納章雄著)。

この本によれば、雑穀栽培は戦後、お米が安定供給されるようになり一旦途絶えてしまったけれど、1975年に渡名喜島の人が熊本県天草からもちきびを取り寄せて栽培したところ、とても美味しかったことから栽培が復活。その種が1981年頃、粟国島へ渡り、粟国でも栽培されるように。波照間島へは87年頃に、ある方が渡名喜島から入手した種を栽培、それが広がっていったと記されています。

ちょうど30年前、波照間島で「もちきびを栽培したい、食べたい!」という1人の情熱で始まったもちきび栽培。その想いが今ではたくさんの稔りをもたらし、もちきびは今、島の基幹作物となり、全国の人たちに美味しい喜びを与えているんですね。

ついに誕生!浮島ガーデンのオーガニック雑穀加工商品

かく言う私も、もちきびの美味しさに誘われて〝果ての島〟へ渡り、「とんちぇ農園」の西里正善さん・恵美さんご夫妻の愉快なお人柄と一生懸命さに惚れて波照間島に通い詰め、もちきびの加工食品まで作ってしまいました。

自作&カスタマイズの名人がいた!

「とんちぇ農園」西里正善さん

ことし63歳になる正善さんは、もちきび農家を始めて10年。もともと学校の理科の先生だったので天体や植物、自然の営みに詳しく、しかも機械や電気のこともよく知っているので、必要な農業機械は自ら開発したり、カスタマイズしたりできるという頭脳と技能の持ち主です。しかもその辺に捨てられていたものを拾ってきて創り上げてしまうからスゴイ!

西里さん特製「すじまき機」

例えば上の写真は西里さん特製の「すじまき機」。「すじまき」とは、畑の草刈りが楽になるよう土に直線のくぼみを付け、くぼみに沿って種をまく方法です。西里さんは、肥料をまく際に使っているトラクターをカスタマイズ。種と肥料が一緒にホースから流れ出てくる仕組みになっています。ホースは捨てられていた洗濯機のホースを再利用したものです。

もちきび選別機

そしてこれはもちきびを選別する機械。買えば200万円くらいはする農機具を、西里さんはほとんど廃材で手作りしました。

ちなみに選別というのはどういう作業かと言うと、販売されているもちきびはたいてい全部均一な色をしていますよね。茶色のもちきびが混ざっていることは稀です。消費者の私たちがきれいさを求めるため、農家さんは出荷前に色が異なるもちきびは捨て、きれいな黄色いもちきびだけを袋詰めしています。その作業を選別と言います。

骨が折れる!選別作業

西里さんが発明した選別機は、中身を抜いたボールペンに掃除機の吸い取り口を取付け、ペン先をもちきびに当てると、一粒づつ吸い込んでくれるというもの。なるほど~よく考えたなぁ。私もトライさせてもらったのですが、目は疲れるわ、肩は凝るわ、時間はかかるわ…。

消費者のためにここまで農家さんが労力をかけていたなんて! 何も知らず食べていたことが恥ずかしくなりました。現在は西里さん、上等選別機を購入したので、この手間のかかる作業からは解放されています。それを聞いてホッとしました。

〝果ての島〟に学ぶ

潮がどど~んと上がってワイルドな高那崎

必要なものが欲しくても簡単には手に入らない島暮らしでは、知恵と工夫が大事だと心から思います。島の人はよく言います。「何でも自分でできないと、島では生きていけないよ~」と。本当にその通り、すぐに修理屋さんは来てくれないし、買いたくてもお店がないので買えない。都会に住む私たちもその意識で生活してゆくと頭が活性化されていいはずねと思いました。

波照間島に通って6年。日本最南端、美しくも厳しい自然の〝果ての島〟で農家として生きる正善さんの農業への姿勢、生きる姿を通して、たくさんのことを学ばせてもらっています。

そんな正善さんが数年前、「もうもちきびはやめようかな」と言い出したことがありました。たった1人で2トンものもちきびを栽培・出荷する。十分な体力と気力がなければできないことです。

〝勝手に六次産業化プロジェクト〟

もちきび栽培をやめて欲しくない。誰か手伝ってくれる人がいれば続けられるはず。でも人を雇いたくても農業だけでは給料を支払うことは難しい。そうだ! 加工施設を作って、もちきびで加工食品を作ったら、収入が安定して人を雇うことができるかもしれない。仕事があるとなれば息子さんが帰ってくるかもしれない…。そんなおせっかいから始まったのが〝勝手に六次産業化プロジェクト〟でした。

島の人々も集まり、加工場で勉強会

構想から2年がかり。西里さんの家の敷地に加工場ができました。「ここで存分にもちきび加工食品を作っていただきたい!」と、浮島ガーデン社員みんなでお邪魔し、加工技術を伝授。試行錯誤を繰り返しながら技術を高め、加工品第1弾としてもちきび甘酒を生産してゆくことになりました。

もちきび甘酒には、正善さんの高校時代の悪友・那良伊孫一さんが作る西表安心米麹もたっぷり入っています。農作物で友情のコラボレーション。そこから生まれる甘酒はとっても甘くて美味しくて。赤ちゃんがグビグビと勢いよく飲む姿を見て、ああ、ほんとに頑張って良かった。いいものができたと幸せな気分になりました。「とんちぇ農園」メイドのもちきび甘酒は波照間島を中心に間もなく販売されます。

何度もしたなぁ。もちきび甘酒の試作

金の甘酒。もちきびのことを八重山では金と呼びます。

いのちのリレーを続けるために

加工場ができ、絶好のタイミングで息子さんも島へ帰ってきました。

2年前には高キビや粟の栽培もスタートした正善さん。これからはアマランサスとキヌアにも挑戦したいと気合い十分です。

もちきび農家として新たな人生がはじまった圭正さん
どこかの星から来たみたいなルックス!アマランサス

果ての島で生まれたいのちの粒が海を越え、たくさんの人の体の中で再びいのちとなる。安全な食べものでみんなを元気にしたいという正善さんの想いを、浮島ガーデンはお料理を通してお届けする。なんて素敵な商売なんだと思わずにはいられません。

正善さんが作ったもちきびと高キビの加工食品は「沖縄の田からもの地からもの」ショッピング・サイトで販売しています。

最近、撮影したばかりの正善さんのインタビュー映像もアップされています。ぜひご覧になって下さいね。

西里正善さんと恵美さん

〈インフォメーション〉

第3弾となるオーガニック祭り『まーさんマルシェ』が3月17日(土)11:00~20:00、パレットくもじ1階イベント広場にて行われます!

今回も出店者、ライブ・パフォーマンスともに豪華ラインナップです。

詳細は下記のサイトにて御覧くださいませ。

まーさんマルシェHP

まーさんマルシェFacebook 

今回のマルシェでは、今が最盛期!旬の生もずくもやってきます。どれだけお箸でつかめるか、『もずく掬(すく)い選手権』もありますので、みんなで参加して盛り上がって下さいね~☆

中曽根直子(なかそねなおこ) 穀菜食研究家/沖縄雑穀生産者組合 組合長

那覇に「浮島ガーデン」、2016年、京都に「浮島ガーデン京都」をオープン。沖縄の在来雑穀の復活と種の保存、生産拡大のため沖縄雑穀生産者組合を立ち上げる。農業イベントや料理教室、食の映画祭や加工食品のプロデュースなど様々な活動を通して、沖縄の長寿復活に全力投球中。