箸止まらぬ名物の味 大東寿司

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大東寿司を仕上げる伊勢崎左弘子さん(左)と娘の元野紀公枝さん=豊見城市高嶺

 記者もファンの一人。本場仕込みの大東寿司を味わおうと、南大東島で60年余り生活し、5年前に豊見城市に移り住んだ伊勢崎左弘子(いせざきさくこ)さん(83)を訪ねた。南大東島では主にサワラを用いて大東寿司を作るが、本島ではなかなか手に入らないため、今回はマグロとシチューマチで作ってもらった。

 南大東島では冠婚葬祭や誕生日などあらゆる場面に大東寿司が登場するという。シャリに酢と砂糖をたっぷり使うため、おいしさはさることながら保存性が高いことが利点だ。「それぞれの家庭の味がある。漬けダレに砂糖を入れる家庭もあるけど、うちはしょうゆだけでシンプルに」と左弘子さん。

 ネタが黒ずまないように、刺し身はしょうゆに漬け込まずにサッとくぐらせるのがポイント。調味料の分量を聞くと、少し困った様子で、「分量をしっかり量ると意外と失敗しちゃうの。手加減で、味を見ながら」と笑った。

 炊いたご飯に酢とみりんと砂糖、隠し味のリンゴ酢を合わせた調味料を加えて混ぜると、甘酢の香りが広がり食欲を刺激する。しっかり冷ましたご飯を慣れた手つきで次々と握る左弘子さんの横で、娘の元野紀公枝(きくえ)さん(60)が「私の結婚式でも、母が近所の人と一緒に大東寿司を作ってくれた」と懐かしむ。こうして、おしゃべりをしながらシャリを握る時間が楽しいのだと左弘子さんは言う。


 思い出話は続く。左弘子さんは台湾で生まれ、戦後は父の故郷の奄美大島に引き揚げた。その後、生活のために奄美を離れ、一家で南大東島に移住。20歳で公浦(まさほ)さんと結婚し、4人の子に恵まれた。公浦さんが亡くなるまでの約60年間を南大東島で過ごした。

 「夫は米軍機の燃料タンクで作った船でよく釣りに出掛けた。サワラをはじめ時には深海魚も釣ってきた。新鮮なサワラですしを握り、近所に分けて食べたのよ」と思い出話に花が咲く。公浦さんが生前、最後に口にしたのも大東寿司だったという。「大好物だったね」と親子で振り返った。


 ユンタクしているうちに皿の上にはずらりとシャリが並んだ。しょうゆにくぐらせたネタをシャリにのせ、「愛情を込めて」さらにぎゅっと握って形を整えたら完成だ。コロンと丸いすしを口に運ぶと甘辛の味わいが広がり、もう1個、あと1個と箸が進む。

 食卓は大東寿司談議で盛り上がった。左弘子さんによると、かつて南大東島の冠婚葬祭の場では、大東寿司や卵焼きの中に蒸したジャガイモを入れた「大東オムレツ」などを、米軍払い下げの銀色の食器にのせて振る舞う習慣があったという。初耳だ。話は尽きない、箸は止まらない。人生のさまざまな場面に花を添える大東寿司はまさに南大東島のソウルフードといえる。


しょうゆにくぐらせたマグロをのせた大東寿司。サラダとアーサのすまし汁を添え彩り良く

文・赤嶺玲子
写真・中川大祐

(「あんまーのごはん」は今回で終了します)



大東寿司

 南大東島には八丈島出身者をはじめ、労働者として沖縄本島からも多くの人が移り住み、沖縄と八丈島の文化が融合する独特の「大東島文化」を生み出した。

 大東寿司も島を代表する文化の一つ。八丈島の郷土料理「島寿司」がルーツといわれている。南大東近海で取れた新鮮なサワラやマグロなどで作る、島民の大好物。

 シャリに酢と砂糖をたっぷり加えることで保存性が高いことも特徴だ。




(2018年3月27日 琉球新報掲載)



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