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名前で呼び合おう! 100cmの視界から―あまはいくまはい―(22)


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 学生時代、アメリカに留学した時、困ったことの一つが、先生の名前を知らないと、質問ができないことでした。英語では「先生!」と呼ぶのではなく、「Mr.」や「Professor.」に名前を付けて呼ぶからです。また先生が保護者のことを「〇〇さんのお母さん」と呼ぶこともなく、名前を呼ぶのが普通です。親という立場ではあるけれど、個人を尊重しているように感じます。

 私は結婚後、夫の同僚や知り合いから「奥さん」と呼ばれた時、違和感、不快感がありました。私の名前は必要がない、言い換えると私自身も必要がないように感じられ、夫が前に立たないと何もできない気持ちにさせられたからです。

 今では、子どもたちから「ママー! ママー!」と甘えられ、時には泣き叫ばれる毎日。私は時々「今日はママはお休み。なっちゃんって呼んでね」と言っています。「なっちゃん」と呼ばれると、そんなに頑張らなくてもいいかな、手を抜いちゃえ! と、気持ちが楽になるからです。私は友だちの子どもが泣いたり、イタズラをしても、温かく見守ることができるのですが、わが子が騒ぎ出すと「母親の私が何かしなければいけない」と思ってしまうのです。肩書で呼ばれると、無意識に社会的役割を担ってしまうのですね。

近所の桜まつりにて。私にいつもぴったりくっついて甘えん坊の息子と、天真爛漫の娘です

 女性は子どもができると「母親なんだから仕方ない」とやりたいことを諦めたり、責任感が強くなることの多いこと! でも自分の名前を呼んでもらえると、役割に縛られることなく、力がほっと抜けるかもしれません。そしてやりたかったことを思い出し、自分らしさを取り戻すことができるかもしれません。

 しかし不思議なのが、同じ肩書の呼び名である「パパ」の感じ方は、「ママ」とは違うようなのです。夫はどんなに子どもから「パパー!!!」と呼ばれても寝ていたら起きないし、さらには電車に子どもと乗っていても、寝落ちし、到着の駅の手前で4歳の息子に起こされる始末。疲れているからだとは思うのですが、「ママ」の私は子どもが気になってしまい、そんなことはできません。肩書にとらわれるかどうかは、自分次第なのかもしれませんね。

 「先生」や「お母さん」「お父さん」の肩書にとらわれず、お互いに「名前」で呼び合うことを広めてみませんか? また周りから自分が呼んでほしい名前で呼んでもらえると、自分らしく生きていくパワーがもらえます。名前は親からの一番最初の贈り物。それをそのまま大切にするのもいいし、自分らしくアレンジしていくこともすてきですね。

(次回は5月1日に掲載します)

伊是名夏子

 いぜな・なつこ 1982年那覇市生まれ。コラムニスト。骨形成不全症のため車いすで生活しながら2人の子育てに奮闘中。現在は神奈川県在住。

 

(2018 年4月17 日 琉球新報掲載)