かりゆし58が語る 沖縄のアーティストに受け継がれてきたものとは


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母への感謝の思いをつづったヒット曲「アンマー」など、心に響く楽曲を生み出し続ける4人組バンド「かりゆし58」。結成13年を迎えた彼らの“核”やこれからの夢、そして100年後に残したい音楽について、前川真悟さん(ヴォーカル&ベース)、新屋行裕さん(ギター)が語り合いました。

人の営みのそばに寄り添う歌を

受け継がれゆく良いものを残したい

─「100年後に残したい音楽」という壮大な話をする前に…結成のきっかけを教えてください。

前川真悟(以下、真悟) メンバーが出会ったのは高校時代です。ギターの新屋行裕(以下、行裕)とドラムの中村洋貴(以下、洋貴)は幼なじみで糸満高校に通っていました。僕は小禄高校だったんですが、僕の幼なじみが糸満高校だったんです。

行裕 だから糸満高校によく遊びに来ていたよな。

─小禄高校に通っていた真悟さんが糸満高校の学園祭に〝乱入した〟とか?

真悟 乱入っていうか…何となくいつもそばにいたから、自分はメンバーだと思っていたんですよ。認識の違いです(笑)。

─結成は2005年。23、24歳のころですね。何があったんですか?

真悟 当時みんな音楽とは関係ない仕事をしていたんですけど、久しぶりに会ったとき、「学園祭とか楽しかったよな〜」っていう「思い出酒」で盛り上がって…。そして最後には「愚痴り酒」になった。みんな社会に出て数年たったころで、「今の仕事を一生続けていくのか」とモヤモヤしていた。やりたいのか、やりたくないのか分からない仕事の連続で人生が終わっていくのが怖かった。「自分が楽しかったと思えない人生は嫌だ」と思い、結成に至りました。(※ギターの宮平直樹さんは2008年に加入)

─「アンマー」で全国区になりました。当時はどんな感じだったんですか?

真悟 ん〜、どうだった?

行裕 親が応援してくれるようになった、っていうぐらいの変化ですかね。

真悟 だよな。

─ええっ!?あれだけヒットしたのに? 失礼ですけど「俺たちスゴイぜ」みたいに思っちゃうことはなかったんですか?

真悟 確かにお金や知名度は変わりました。今までテレビの向こう側にいた人が飲み会に誘ってくれるとか友達になるとか…。でも逆に、家族とか友達とか「大事なものを大事にしないと危ないな」と思いましたね。それは沖縄の先輩方がみんなそうだからだと思います。例えばBEGINの島袋優さんはギターが上手で、唄者の新良幸人さんは歌が上手。でも、それはそれ、人としてはみんな同じ、みたいなところがある。

行裕 ちゃんと「人」を見てくれるというか…。

真悟 「アンマー」のヒットの後、知名定男さんが言ってくれた言葉があるんです。俺はしばらく「あの曲いいね」って人に言われても、恥ずかしさから「いや〜若造が書いた曲ですよ」と言ってしまっていた。そんな俺に定男さんは「曲っていうのは、お前とか俺が書いているんじゃないよ。音楽っていうのは、今もここにあるべきものを蘇生させるだけの作業だよ」「だから心と耳を傾けて、自分のエゴや変な感情で汚さないよう、音楽と謙虚に向き合うのが俺たちのなりわいだよ」と…。

─感動します。ジャンルは違っても受け継がれゆく精神なんでしょうか。

真悟 沖縄の素晴らしい音楽家はみんな「巡り合わせに恵まれて音楽をやっている、だから次の人に伝わる良いものを残そうな」みたいなところがある。

行裕 威張っている人はびっくりするぐらい1人もいないね。

暮らしから生まれて暮らしに帰る

─これからの目標は?

行裕 自分は40歳までに家を建てたい。今はそれだけっすね。

真悟 俺もそれ思う。

─意外です。守るべき家族ができたからですか?

真悟 家族の存在もあるんだろうけど…100年後の話をすれば、自分たちはもう骨か粉さ。俺たちは今まで一生懸命やってきたけど13年でカタチにしたものは約140曲。合計10時間ぐらい。13年間で10時間か〜って思うと…。

─家よりも140曲残すことの方がよっぽどすごいです!

真悟 でもCDには住めないしね。家は住めるけど。音楽をどこで聴くって家でしょ?

行裕 だよね。

真悟 結局、家だと思うんです。暮らしから生まれて、暮らしに帰る。そこに音楽があると思うんです。

─なるほど。家は暮らしの象徴なんですね。

行裕 俺たちは、暮らしの中から曲を生み出して、人の暮らしの側にいたい。

─それは言いかえれば、100年後に残していきたい音楽ということですか?

真悟 もちろん自分たちが関わった曲が100年後もかわいがってもらえるとうれしい。でも、それよりも「音楽に人生をささげる人は魅力ある人」って思ってほしい。「ミュージシャンというなりわいは人生をささげるに値するものだ」と。そのためには俺たちが「幸せだな〜」って思える人生を歩むことだと思うんです。聴く人も、やる人も、幸福になるのが音楽だと伝えていきたい。

新しいものも古いものも素晴らしい

─100年後、どんな沖縄にしたいですか? また、残したいものは?

行裕 沖縄にもコメダ珈琲店ができるじゃないですか。それはうれしいけど…風景も道も随分変わってしまった。沖縄らしい風景は残ってほしいなと思う。心に古里を持てる人間でありたいし、そんな心と生き方は残していきたい。

─2017年に出されたアルバム『変わり良し、代わりなし』。心に響くタイトルです。

真悟 ドラムの洋貴が今、痛めた手を休めるためにバンドから離れているんです。「時間と共に変わってしまうことはあるけど、自分の人生は自分にしか生きられないよ」という思いを込めたタイトルです。

─沖縄の過去、現在、未来をつなぐメッセージにも聞こえます。

真悟 沖縄という島は100年前まで、島唄という純度100%のルーツミュージックがあった希少な島なんです。昔の先輩方は、島唄以外の音楽は聴いたこともないまま島唄に一生をささげ継承してきた。でも、もうロックを聴いてしまった俺たちには純度100%の島唄は歌えません。島唄や島の言葉など、残さないといけないものはいっぱいあると思う。でも、薄れゆくものを大事にしつつ、新しく広がったものも大切にしたらいい。

─まさに沖縄のチャンプルー文化ですね。

真悟 そう。ビートルズがあんな素晴らしい曲を作ったのに、まだ俺たちが曲を作るなんて理屈から言えばあほみたいさ。でも、「ビートルズもいいけど、俺は俺が作る曲が好きだ」と言って、音楽に挑む人が100年後もいればいいな。「新しいものも、古いものも同じぐらい素晴らしい」。100年後の人もそんなノリで生きていてほしいですね。

●かりゆし58(かりゆし・ごじゅうはち)
2005年4月、沖縄で結成した4人組バンド。メンバーは前川 真悟(まえかわ・しんご/ヴォーカル&ベース)、新屋 行裕(しんや・ゆきひろ/ギター)、中村 洋貴(なかむら・ひろき/ドラム)、宮平 直樹(みやひら・なおき/ギター)。沖縄音階にロック、レゲエなどのサウンドを取り入れた曲にストレートな歌詞を合わせた独自のバンドサウンドが幅広い人気を博す。2006年リリースの「アンマー」で日本有線大賞新人賞を受賞。

100年後に伝えたい夢がある―。琉球新報社は5月25日正午から、沖縄県那覇市泉崎に新本社ビルが落成したのを記念して、県内外で活躍する県出身アーティストやお笑い芸人に「100年後に残す“夢”」を語ってもらうラジオ公開放送を新本社ビルで行う。ラジオ沖縄の「ティーサージ・パラダイス」と、エフエム沖縄の「ゴールデンアワー」の人気2番組によるコラボ放送という初の試み。

出演は両番組の司会の真栄平仁さんと西向幸三さん、糸数美樹さんはもちろん、ゲストにかりゆし58の前川真悟さんと新屋行裕さん、リップサービスの金城晋也さんと榎森耕助さんのほか、スペシャルゲストとして女優の比嘉愛未さんも登場する。それぞれの100年後の未来を展望する。