渡名喜・水上運動会の魅力に迫ってみた。→小さな島が一つになった。 「てみた。」45


社会
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渡名喜島の伝統行事である渡名喜幼小中学校の「水上運動会」が100回の節目を迎えた。

島の人口は約380人。今年は15日に開かれ、出身者らを含め島内外から約600人が参加した。

水上運動会って何? なぜ100年も続いているの? その謎と魅力に迫ってみた。

本番前日の14日。渡名喜島(渡名喜村)の港では「久しぶり! 元気だったねぇ?」といった声が飛び交い、再会を喜ぶ姿があった。

比嘉静子さん(57)

島の人たちは人口の2倍近い来島者を総出でもてなした。夕飯は、炊き出しボランティア30人によるてぃーあんだーたっぷりのもちきびおにぎりと温かい豚汁、新鮮な刺し身。島特産のもちきびの甘さが体に染みた。

水上運動会について渡名喜小6年の前底美晴さん(12)に尋ねると「去年はパイナップルを取ったよ」。どういうこと? 水上運動会の謎は深まる。

島の民宿は4軒。来島者のために小中学校の教室や漁民センターなどが開放された。

気になっていたシャワーはなんと個人宅で利用できた。自宅のシャワーを提供した比嘉利克さん(67)は「シャンプーも石けんもあるからね」とにっこり。気遣いは一流ホテルに負けない。ありがとうございました!

15日午前3時半。まだ薄暗い中、上原雅志教育長らが朝の炊き出し準備に取り掛かった。食欲をそそるかつおだしの香り。「おはよう」という元気な声で、午前5時半から沖縄そばを振る舞ってくれた。いよいよ本番が迫ってきた。

運動会が始まった。持久泳挑戦者は中学生5人。女子は400メートル、男子は800メートルを泳ぎ切った。中3男子の2人は今年が最後の水上運動会。南風原(はえばら)駿さん(14)が先にゴールした。

「太鼓の音や声援が聞こえて力が出た。きつかったけど、ずっと思い出に残る」と息を切らしながら話し、もう一人の同級生・渡口成樹さん(14)の姿を探して声援を送った。渡口さんも数分後にゴール。「一緒に泳いでくれた先輩たちが、そばで『もう少し!』と励ましてくれた。いつも以上の力が出た」。タイムは練習時より6分も早かった。
 

(左から)南風原駿さん 渡口成樹さん

障害物競争では、幼稚園児から小学2年生までのちびっこたちがお菓子を目指して一生懸命駆け回った。

水中に立てられたかご目掛けて、力いっぱい玉を投げる子どもたち。終了の合図にも気付かず、無心で球を投げる子もいた。

相手チームより多くの玉を入れようと、懸命に玉入れをする子どもたち=15日、渡名喜村のあがり浜

保護者や村民、村勤務経験者らが参加して競ったリレー。太陽よりも熱い闘志を燃やしていたのが村の上原雅志教育長。カツオと見まがうほどの泳ぎっぷりだった。

紅白対抗リレーは、子どもたちにとって一番の勝負種目。練習では毎回、赤組が勝利していた。

大会本番も赤組がリード。「やっぱり負けちゃうのかな…」。白組の諦めムードを変えたのは、白組アンカーの南風原さん=中学3年。オリンピック選手のような勢いで赤組に迫り、見事逆転勝利を収めた。

エメラルドグリーンに光る美ら海…なんて、今この瞬間はどうでもいい! 見えているのは相手の帽子のみ! 馬と化した大人は荒波を物ともせず突き進み、騎手の子どもは帽子を奪う腕をしならせた。

海に浮かんだたくさんの宝物を取ろうと、子どもたちの目が光る。大人もリンゴやスイカをシャツの内側に入れ、ご満悦。大きなおっぱいが出来上がった。


100回? 本当は96回? 大会の歴史

水上運動会はカツオ漁の後継者育成を目的に、1919年に始まった。大正から昭和にかけて栄えたカツオ漁は現在は途絶えてしまったが、水上運動会は引き継がれてきた。今年が100回となったが、実は第2次世界大戦中に4回実施されなかった年があった。つまり実施された回数でみると今回は96回になる。

上原教育長に質問すると「最初は100周年を祝おうとしたけど、それだと来年になる。僕たちも悩んだけどね、もう準備は進めていたから今回を100回と決めたんだ」とにっこり。96回でも100回でもいいじゃないか、そんな気にさせてくれた。

泳ぎ、みんなで教える ボランティアが課外教室

元気いっぱい泳ぐ子どもたちだが、意外にも「泳ぎは苦手」という子も多い。そんな子たちの力となったのが、村民がボランティアで泳ぎを教える課外水泳教室だ。

学校の体育の時間を使った水泳教室に加えて、本番までに14回の課外水泳教室が開かれた。渡名喜小中学校の仲座正教頭は「本島の子どもの2倍以上の時間泳いでいる」と教えてくれた。

「学校行事でもあり島全体の行事でもあるから」と話すのは、課外水泳教室で指導した村役場職員の桃原望さん(27)。大人にとっても大切な伝統行事なのだ。


 

島の魅力、存分に感じた

 

かかず記者とはんみね記者も「大人の宝取り競争」に参加。タカセ貝と夜光貝をゲット!

子どもたちと一緒に海に入ったかかず記者とはんみね記者。こんなに海で泳いだのは生まれて初めて。海に包まれて信じられないくらい気持ち良かった。渡名喜の人たちは昔から海の魅力を知っていたからこそ、水上運動会も生まれたんだと納得した。

競技に一生懸命打ち込む子どもたちの姿とともに心に残ったのは、炊き出しや会場の準備に力を合わせた先生や大人たち。一つの島がここまで一致団結するのは、渡名喜だけではなかろうか。水上運動会には、この島の魅力が最大限に詰まっている。100年続く理由が分かった。

(2018年7月22日 琉球新報掲載)