動く彫刻!? 沖縄でインド舞踊に励む人々がいた


この記事を書いた人 仲程 路恵

インド舞踊 沖縄で広めたい

東インド・オリッサ州に伝わる古典舞踊「オディッシー」。寺院の彫刻を思わせる繊細で優美なポーズ、リズムに合わせ素足で床を打ち鳴らす力強いステップが特徴だ。毎週木曜日、宜野湾市大謝名にインド舞踊サークルのメンバーが集まり、本場インドで学んだ舞踊家・直原牧子(じきはら・まきこ)さんの指導のもと、稽古に励んでいる。

直原牧子さん(中央)が指導するインド舞踊サークルのメンバーと共に=宜野湾市大謝名 (写真・村山望)

その動きはまるで「動く彫刻」のよう―。インド古典舞踊の一つであるオディッシーは、そう賞賛される踊りだ。

オディッシーが伝わる東インド・オリッサ州は、精緻な彫刻が施されたヒンドゥー教寺院が立ち並ぶ土地。マハリと呼ばれる巫女たちが神々に捧げた踊りが起源といわれ、優雅なポーズの数々は、寺院の石像を模しているとされる。

動作は指の一本一本に至るまで細かく決まっており、上半身の流麗な動きで空間を表現する。同時に、足ではリズムに合わせ、激しいステップを打ち鳴らすのが特徴。繊細さと力強さを併せ持つ独特の踊りに魅了される。稽古を見学した記者は、まるでヒンドゥー教寺院を訪れているかのような気持ちになった。

現地で学んだ5年間

練習場所は、宜野湾市大謝名にあるハンモック店の店舗を利用。エキゾチックなムードいっぱいで、「本当にここは沖縄?」と思えてくる

サークルメンバーの指導を行う直原牧子さんは、インド古典舞踊歴25年のベテラン。

生まれ育ったのは大阪府吹田市。「小学2年生の時、世界を旅した経験を持つ臨時教員がインドの話をしてくれたんです。それでインドに興味を持ち、作文に『絶対にインドに行く』と書きました」と笑う。

20歳でインド初旅行。その文化にすっかり魅了され、23歳の時には当時の職場の近くにあったインド古典舞踊教室に通い始めた。2年後、会社を辞め、舞踊を深く学ぶため単身インドへ。デリーのガンダルバ音楽学校で、国民栄誉賞受賞舞踊家であるマダヴィ・ムドゥガル氏に師事し、計5年間、舞踊漬けの日々を送る。

「学校は外国人が少なく、指導も基本的にヒンディー語。最初のうちは言葉も分からなかったので、厳しかったですね」と当時を振り返る。

インド滞在中、沖縄出身の夫と知り合い、結婚。帰国後、2002年から沖縄で暮らし始め、ほどなくインド舞踊サークルで指導を行うようになった。

大変だけど全てが新鮮

稽古は、ステップの練習から始まる。直原さんの掛け声と拍子木のリズムに合わせ、メンバーたちが素足で激しく床を打ち鳴らす。ステップを習得するまでに1、2年はかかるという。

古典舞踊ゆえ動作や規則が細かく決まっており、習得は必ずしも容易ではない。直原さんも、「インドから帰国後、自分で練習し始めて、ようやく分かってきた感じです」と話す。

上半身では腰の動きを使い、中腰の姿勢を続けることもしばしば。体の3カ所を曲げる「トリバンギ」というポーズとあいまって、日常生活で使わない筋肉を使うため、練習後は激しい筋肉痛に襲われるという。

それにもかかわらず、サークルのメンバーは皆、笑顔だ。今年の2月から練習を始めたという安保由紀子さんは、「こんなに大変と思わなかった」と言いつつも、「全てが面白くて新鮮」と目を輝かせる。「10年ぐらい続けている皆さんに混じって稽古をしていますが、先生は私のような初心者でも大丈夫だよ、という雰囲気を作ってくれる」と直原さんの丁寧な指導に感謝する。

直原さんは、県内外のイベントに出演し、舞踊を披露する機会も多い。インド音楽を演奏する人々と共に、県内離島の学校で、インド文化を体験してもらう会も計画中だ。

「私が師事する先生は、踊っていると『宇宙が見える』と言います。その境地に達するまで、自分も頑張ろうと思っています」。そう語る直原さんのまっすぐな目が、印象的だった。

正式なメークアップを施し、正装で踊る直原さん。その動きは重力を感じさせないほどスムーズ(写真・直原さん提供)

(日平勝也)

インド舞踊サークルはメンバー募集中です。

年齢・男女問わず参加できます。興味のある方は

☎090‐9991‐4806 (直原)へ

(2018年10月4日付 週刊レキオ掲載)