「連載:『戦争死』に向き合う」の記事一覧
沖縄戦から75年。新型コロナウイルスの感染防止を理由に、県は沖縄全戦没者追悼式の会場を国立沖縄戦没者墓苑に変更する方針だったが、のちに元の沖縄平和祈念公園の広場に戻す考えを示した。有識者らは国の加害者としての立場に触れ、国立墓苑での追悼式は戦争による死の美化につながると指摘、県の平和創造の理念や遺族の感情に沿わないと県の対応を疑問視した。沖縄戦における「戦争死」、追悼の内実を考える。
忙しい教師、減る体験者…平和教育「壁」の前で<「戦争死」に向き合う>⑦
図書館の資料を読みながら沖縄戦について語り合う糸満高校3年の中村彩花さん(左)と諸見里真知さん=5日、糸満市の同校 「平和教育というより沖縄戦の周知になってい ...
生死を分けたもの「なかったことにできぬ」 皇民化教育の史実継ぐ <「戦争死」に向き合う>⑥
皇民化教育の反省を次代に伝えることの重要さについて語る沖縄市平和ガイドネットワークの森根昇共同代表=10日、うるま市与那城屋慶名の自宅 沖縄戦で米軍が本島に上 ...
援護法が「生きた証し」の壁に 国が戸籍修正認めず、ゆがむ沖縄戦の本質<「戦争死」に向き合う>⑤
沖縄戦で亡くなった妹たちの記憶をたぐる石原絹子さん=12日、那覇市 沖縄戦の全戦没者を刻銘する「平和の礎」が建設された1995年、石原絹子さん(83)=那覇市 ...
「礎」の理念 戦争美化せず敵味方なく 追悼「誰でも受け入れる場を」<「戦争死」に向き合う>④
自身の沖縄戦の体験と平和の礎建立の経緯を話す高山朝光さん=8日、那覇市内 1962年11月25日、琉球大学体育館(現首里城跡)で行われた南方同胞援護会、日本遺 ...
死後も国の支配下なのか…国立墓苑に転骨「殺された人は納得しない」<「戦争死」に向き合う>③
沖縄戦直後の地域住民による遺骨収集について語る大城藤六さん=2日、糸満市真栄平 県民約12万人と日米の兵士約8万人が亡くなった沖縄戦から1年後、糸満市真栄平。 ...
「死なんどーっ」生死を分けた少女の叫び 壕の中「強制集団死」住民も巻き添え<「戦争死」に向き合う>②
75年前、糸満市米須のカミントウ壕で起きた「集団自決(強制集団死)」について語る大屋初子さん=3日、糸満市 1945年6月20日ごろ、糸満市米須のカミントウ壕 ...
母と姉に手りゅう弾、投げたのは日本兵だった 戦死ではない戦争死とは<「戦争死」に向き合う>①
沖縄戦から75年。新型コロナウイルスの感染防止を理由に、県は沖縄全戦没者追悼式の会場を国立沖縄戦没者墓苑に変更する方針だったが、のちに元の沖縄平和祈念公園の広 ...
体験者「敵は日本兵だった」 美化、肯定に危機感 <「戦争死」に向き合う>① 住民虐殺・下
「最後のころはもう、敵は日本兵でした」。75年前を振り返り、金城トミ子さん(88)=糸満市=はうつむいた。 1945年5月、米軍の進攻に伴い、日本軍は南部に ...
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