「連載:セピア色の春―高校人国記」の記事一覧
さまざまな分野で活躍する人々の青春期をたどりながら、地域の歴史とともに県内各高校の歩みや校風を描く。
かつてオレンジレンジも…若手の「登竜門」ライブハウスオーナー喜屋武尚さん 経験に裏打ちされた「やればできる」バスケ元日本代表・稲嶺啓美さん 北谷高校(2) <セピア色の春>
老舗ライブハウス・モッズのオーナー喜屋武尚(63)は1期生。開校当初は北谷町や沖縄市の一部が校区だった北谷高校。音楽活動が盛んな印象だが、喜屋武の入学時は認め ...
西田敏行にくぎ付け 「笑わせられる役者」目指し学校で芝居とモノマネ披露 腹話術との出会いと今も心に残る国語教諭の教え いっこく堂さん 北谷高校(1)<セピア色の春>
北谷高校4期生の腹話術師、いっこく堂(60)は1963年、名護市出身の父の就職先、神奈川県で生まれた。5歳の頃に沖縄に戻り、飲食店を営んだ両親と共に沖縄市で暮 ...
いっこく堂さん「芸の道、一歩踏み出す」 プロ野球選手を夢見た小学生時代、近所に住んでいた歌手とは 北谷高校(1)<セピア色の春>
2023/09/12
#連載:セピア色の春―高校人国記
「あれ、声が、遅れて、聞こえて、くるよ」。口の動きに遅れて時間差で声を発し、2体の人形を同時に操り、唇を全く動かさない腹話術は見る人を驚かせる。希代の腹話術師 ...
遠出した経験から「自転車漬けの日々」に プロ競輪選手で村議の屋良朝春さん、元五輪出場の内間康平さん・北中城高校5<セピア色の春>
自転車部強豪として知られる北中城高校。2008年7月に競輪選手としてプロデビューし、2年後にS(スーパースター)級に昇格した屋良朝春(38)は17期生だ。 ...
「やっけーしーじゃ」と中学校則からの抑圧 輝ける場所求め「北中城のりゅうちゃん」に ryuchellさん・北中城高校4<セピア色の春>
「自分の心が温かくなる道を歩みたい」と語るryuchellさん=1月14日、那覇市の琉球新報ホール(喜瀨守昭撮影) ryuchell(27=りゅうちぇる)は1 ...
ryuchellさん「高校は自分の居場所だった」 SNS駆使し校外からも注目の生徒に 北中城高校4<セピア色の春>
2023/02/07
#ryuchell
北中城高校29期のryuchellさん。「高校は自分の居場所だった」(ジャン松元撮影) 県出身タレントのryuchell(27=りゅうちぇる)は最近、平和や多 ...
「部活青年会」の結成とエイサー演舞、伝統つくり…比嘉利彦さん 陸上部でキャプテン務め経験を消防現場にいかす…比嘉正志さん 北中城高校3 <セピア色の春>
北中城高校のグラウンド バイオリニストの與那嶺理香(49)は北中城高校の7期。演奏家としてのキャリアは28年ほどになる。演奏会は体力勝負といい、体調管理に余念 ...
音楽の世界で活躍する二人が北中城高校で過ごした日々とは…與那嶺理香さん、LEONさん 北中城高校2 <セピア色の春>
北中城高校の校庭。奥に野外ステージが見える バイオリニストの與那嶺理香(49)は北中城高校の7期。演奏家としてのキャリアは28年ほどになる。演奏会は体力勝負と ...
キングスで活躍した二人の高校時代や当時の監督の言葉とは…澤岻安史さん、与那嶺翼さん 北中城高校1 <セピア色の春>
創立40周年を迎えた北中城高校 北中城高校は昨年12月、創立40周年の式典を開催した。開校は1983年4月。バスケットボールや自転車などのスポーツや文化活動で ...
培った「北農魂」、教員の道に生涯ささげ…瀬名波栄啓さん 子の預かりきっかけに保育の道へ…玉城善徳さん 北部農林高校(16)<セピア色の春>
北部農林高校11期生の農業科の生徒。1列目右端が瀬名波栄啓さん、1956年 英語教員として北部農林高校の教壇に立ち、豊見城高校校長などを務めた瀬名波栄啓(83 ...
「寮歌を歌って卒業した」学寮の経験がアジア文化研究に生きる…比嘉佑典さん 厳しい寮生活も「身心の修行」、礼儀作法を学ぶ…仲里徹さん 北部農林高校(15)<セピア色の春>
北部農林高校の寮と茶工場の周辺(創立40周年記念誌より) 北部農林高校には校歌とは別に寮歌が長く歌われてきた。「黒潮踊る うるまの島の/空をかすめて そびゆる ...
スペシャリストの原点、「琉球庭園」づくりにも注力…仲村弘喜さん ニューカレドニアとの絆を深め…仲村留美子さん 北部農林高校(14)<セピア色の春>
被服専攻の生徒たち=1972年、北部農林高校(卒業アルバムより) 北部農林高校で造園を学び、卒業後もスペシャリストとして活躍しているナカムラ造園土木(金武町屋 ...
小さな親切運動を推進、社会貢献している人に「光を当てたい」…仲村正樹さん 国場幸昌氏や屋良朝苗氏、政治へのあこがれ抱く…比嘉克政さん 北部農林高校(13)<セピア色の春>
寮生らと茶わんを洗う仲村正樹さん(左端)=1966年 1963年に始まった小さな親切運動を県内で推進する行政書士がいる。仲村正樹(72)、22期だ。心温まる親 ...
手掛けた多くの事件、「精神力が鍛え上げられたからこそ」…日高清晴さん 人一倍強い正義感、警察官時代も筋を通し続け…石新政英さん 北部農林高校(12)<セピア色の春>
北部農林高校時代の日高清晴さん(2列目左から3人目)らキビ専攻の生徒ら(21期生卒業アルバムより) 北部農林高校の卒業生には学校生活でたたき込まれた「農林魂」 ...
憧れの教師の一言で体育教師に、沖縄のラクビー発展に貢献…宮城博さん 育てる喜びを知った高校時代、「太陽の花」発足に携わる…上間良廣さん 北部農林高校(11)<セピア色の春>
上間良廣さんが所属していたハンドボール部の集合写真=1968年ごろ、北部農林高校(卒業アルバムより) 沖縄ラグビー界の発展に貢献してきた県ラグビーフットボール ...
忘れられない沖縄サミット、名護での「旗振り役」に…具志堅強志さん 教員が天職、人生の原点の母校の教壇にも…新里邦明さん 北部農林高校(10)<セピア色の春>
北部農林高校15期生(林業科)の生徒ら。3列目左から7人目が具志堅強志さん、1列目左から6人目が新里邦明さん。その右隣がクラス担任の照屋照和さん=1961年3月 ...
「人生で大切なこと北農で学んだ」応援団長として活動…屋比久稔さん 実家の建て替えのため上京、沖縄に戻り政治の世界に…大城秀樹さん 北部農林高校(9)<セピア色の春>
北部農林高校の応援団長を務めた屋比久稔さん(左)ら=1966年ごろ(卒業アルバムより) 元名護市議会議長で県羽地振興協同組合「羽地の駅」の代表理事を務める屋比 ...
今帰仁村長として「農業と観光」の基盤づくりに奔走…與那嶺幸人さん 栄養学を学び大宜味村で「笑味の店」立ち上げ…金城笑子さん 北部農林高校(8)<セピア色の春>
北部農林高校で育てた食材などを活用して調理や栄養について学んだ「食物クラブ」の生徒たち=1966年ごろ、北部農林高校(卒業アルバムより) 2008年1月19日 ...
農業実習をやらずに機械いじりに熱中…大城保三さん 畜産がしたくて入学、社会では別の道へ…比嘉善明さん 北部農林高校(7)<セピア色の春>
名護市立東江中学校の敷地に建つ「北部農林高等学校発祥之地」 名護城(なんぐすく)に隣接する市立東江中学校のグラウンド隅に「北部農林高等学校発祥之地」と刻まれた ...
父の言葉で決まった進学先、名護市で初の女性部長…宮里勝子さん バレーボールに打ち込んだ高校時代、婦人会活動をけん引…大城美智子さん 北部農林高校(6)<セピア色の春>
1963年卒業のバレーボール部の生徒ら(卒業アルバムより) 2001年4月に名護市で初めての女性部長が誕生した。抜てきされたのは16期の宮里勝子(78)である ...
沖縄のビールづくりへの情熱、北農が原点…外間政吉さん 貧しい農家「助けたい」と尽力「北農は人生の道しるべ」…瀬良垣敬さん 北部農林高校(5)<セピア色の春>
整地作業に精を出す北部農林高校の生徒、1952年2月(外間政吉さん提供) オリオンビールの元専務・工場長の外間政吉(89)は北部農林高校の5期。オリオンビール ...
「島に戻る」と約束し伊江島から進学、村長時代にも「北農魂」…島袋清徳さん 「学んだこと還元する」胸に、感染症やウイルス研究に取り組む…根路銘国昭さん 北部農林高校(4)<セピア色の春>
1950年代の園芸研修会での集合写真(卒業アルバムより) 米統治下の1948年8月6日、伊江島の波止場で起こった米軍爆弾処理船(LCT)爆発事件に、北部農林高 ...
「困難にチャレンジする教育、3年間が原点」…比嘉照夫さん 伊江島から進学、教員や同窓性との絆…与那城米子さん 北部農林高校(3)<セピア色の春>
1957年ごろの校舎全景(「農魂―創立40周年記念誌」より) 琉球大学名誉教授の比嘉照夫(81)は北部農林高校の13期。有用微生物群(EM)の技術開発で知られ ...
誇り、あこがれの農林学校 上級生に敬礼しないと制裁…苦しい「3年会議」も 山城清輝氏、渡口彦信氏 北部農林高校(2)<セピア色の春>
北部農林高校の前身、県立農林学校は現在の嘉手納中学校の敷地にあった。当時の校門の門柱が嘉手納中に残っている。元沖縄市教育長で38期の山城清輝(98)は「大通り ...
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