「戦後75年」の記事一覧

68年前の天然色…「魂魄の塔」前のコーラ、ひめゆり訪れる人々

2021/06/22 #ひめゆりの塔
青空が広がる中、「ひめゆりの塔」を訪れる人々を撮影したカラー写真=1953年10月19日(池宮城晃さん提供)  1953年に、総合建設業「銭高組」幹部で写真愛好 ...

琉球新報に新聞労連ジャーナリズム大賞特別賞 「戦後75年」報道を評価 都内で表彰式

2021/01/20 #戦後75年

沖縄の障がい者は何を主張してきたのか 各団体が戦後の歩みを共有 南島文化市民講座

2021/01/16 #戦後75年

新聞労連特別賞に琉球新報の「戦後75年・戦争死」報道 「史実の記録に意義」

2021/01/13 #戦後75年

ハクソーリッジやトーチカ巡る 宜野湾市立博物館の沖縄島中部の戦跡講座

2020/12/10 #戦後75年

いまは科学者が戦争を 意識しなくなってしまった 言葉を刻む(14)

2020/09/16 #戦後75年

母は遺骨もない墓に向かって「出てきておくれ」と泣きついていた 言葉を刻む(13)

2020/09/16 #戦後75年

今思えば、軍にマインドコントロールされていた 言葉を刻む(12)

2020/09/16 #戦後75年

超低空飛行の艦載機は既に手が届きそうに近い 言葉を刻む(11)

2020/09/16 #戦後75年

本当に哀れなもんだ 言葉を刻む(10)

2020/09/16 #戦後75年

しばらく見つめたまま 動けなかった 言葉を刻む(9)

2020/09/10 #戦後75年

今でも夢に見らあや、玉城や渡辺を 言葉を刻む(8)

2020/09/10 #戦後75年

こいつを聞く時は涙がこぼれた。「玉砕ス」 言葉を刻む(7)

2020/09/07 #戦後75年

うずく歴史に「修正」重ね 日本軍の記憶に隔絶感<沖縄の記者がみた東京の8・15点描>

2020/08/17 #WEBプレミアム
prime

戦後補償、立法化で実現を 民間被害「向き合う必要性」 4団体が団体会見

2020/08/13 #戦後75年

新事実や証言を集成、戦争の記憶を継ぐ 本紙連載を一冊に

2020/08/03 #戦後75年

お父さん、お母さん、姉さん、決して決して淋しがらないでください 言葉を刻む(5)

2020/07/31 #戦後75年

内地では伝えられていないこと 言葉を刻む(4)

2020/07/31 #戦後75年

道中は死体だらけ。兵隊より住民の方が多く、五体満足な死体はなかった 言葉を刻む(6)

2020/07/22 #戦後75年

ヌヌマチガマ(八重瀬町新城) 野戦病院の分院、白梅学徒が傷病兵看護 全長500メートルに朝鮮人軍夫や慰安婦も<記者が歩く戦場の爪痕>

2020/06/27 #戦後75年

世論に押され知事決断 32軍壕保存・公開検討委 「戦争と平和学ぶ貴重な場」

2020/06/26 #戦後75年

ヌーザランミ特攻艇秘匿壕(宮古島市)特攻艇という名の「棺おけ」を格納 米軍上陸に備え出撃訓練重ね <記者が歩く戦場の爪痕>

2020/06/26 #戦後75年

特別評論 きょう慰霊の日 沖縄戦75年継承の岐路 民の視点で向き合う 島袋貞治(社会部長)

2020/06/26 #慰霊の日

名蔵白水の戦争遺跡群(石垣市)軍命で強制避難 「寒い、寒い」マラリヤで859人死亡<記者が歩く戦場の爪痕>

2020/06/25 #戦後75年
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