「毒ガス移送」の記事一覧
毒ガス兵器移送50年「華々しい公開」に政治的意図 我部名誉教授に聞く
2021/07/15
#弾薬庫
【中部】1971年7~9月の米軍知花弾薬庫(現嘉手納弾薬庫)からの毒ガス兵器2次移送から15日で50年となった。米紙報道で毒ガス貯蔵が明らかになったことや、毒 ...
広報映像で安全を強調 住民の沈静と教化を意図 米軍の「心理作戦」から分かること 寄稿・清水史彦<隣り合わせの危険ー毒ガス移送50年>
2021/01/19
#毒ガス移送
1971年5月15日に改訂され、沖縄人の怒りを鎮めるための心理作戦などを盛り込んだ琉球列島米国陸軍の「レッドハット作戦計画」(県公文書館所蔵) 1971年1月 ...
米側の責任追及を原点に 相手の立ち位置判断を 寄稿・我部政明<隣り合わせの危険ー毒ガス移送50年>
2021/01/15
#50年
毒ガス兵器の第1次移送時の屋良朝苗行政主席(右から2人目)、ランパート高等弁務官(右端)ら=1971年1月13日、美里村(現・沖縄市)の琉球政府毒ガス撤去対策本 ...
米・毒ガス移送の道路建設費 日琉の資金で撤去を画策
2021/01/15
#毒ガス
第1次移送で毒ガス兵器を搬送するトラック=1971年1月13日(県公文書館所蔵) 【中部】1971年7~9月に実施された米軍知花弾薬庫(現嘉手納弾薬庫地区)か ...
【特報】1971年毒ガス2次移送の道路建設費 米が全額負担を検討 高等弁務官が提案
2021/01/13
#毒ガス移送
毒ガスの第1次移送時の(左から)屋良朝苗琉球政府主席、ランパート高等弁務官、高瀬侍郎沖縄大使=1971年1月13日、石川市(現うるま市)東恩納(国吉和夫氏撮影) ...
生存権すら顧慮されず 米軍次第の「空虚感」今も 寄稿・吉岡攻<隣り合わせの危険ー毒ガス移送50年>
2021/01/13
#毒ガス移送
米軍知花弾薬庫(旧美里村)に貯蔵されていた毒ガス兵器の移送、撤去が米統治下の1971年に行われてから50年。当時、沖縄の住民は毒ガス兵器の危険と隣り合わせの生 ...
基地従業員「ウサギやヤギと同じだった」毒ガス防護具なく勤務 「解雇の恐怖」50年前を振り返る
2021/01/13
#在沖米軍基地
【中部】最も内側には木箱に入れられたウサギがいた。ヤギも放牧で飼育されていた。いずれも毒ガスが漏れ出した時の検知のためだと思った。貯蔵庫は二重のバリケードフェ ...
我部名誉教授「米軍、復帰控え国際社会を意識」 毒ガス移送の道路建設費負担を検討
2021/01/13
#在沖米軍基地
1971年2月12日付でランパート高等弁務官が米国務省などに宛てた公電。第2次移送にかかる道路建設費用を日本政府が負担しない場合、米国民政府の一般資金から捻出す ...
集落内の移送が最短経路… 早期撤去へ葛藤と不安 住民「従うしかなかった」<見えぬ恐怖今も 毒ガス搬送50年>
2021/01/13
#毒ガス
「住民はどんな移送経路でも受け入れざるを得なかった」と語る宮里政秀さん=7日、うるま市石川東恩納の美原公民館 元石川市職員の宮里政秀さん(81)=うるま市=は ...
避難強いられ生活は混乱 「米軍優先」今も振り回される日常<見えぬ恐怖今も 毒ガス搬送50年>
2021/01/12
#毒ガス
50年前に毒ガスが移送された天願桟橋(手前)と昆布集落(奥)=6日、うるま市 不安げな表情の子どもや主婦、お年寄りなどが、バスで避難するため具志川市(現うるま ...
「いつか漏れるかも」…毒ガスに不安と怒り 撤去見届け夢中で撮影<見えぬ恐怖今も 毒ガス搬送50年>
2021/01/11
#毒ガス
現在は米軍基地内にある先祖からの土地を背に、毒ガス移送当時を振り返る島袋善祐さん=8日、沖縄市 住民のほとんどが避難した美里村(現沖縄市)の幹線道路は、異様な ...
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