沖縄戦77年


 沖縄戦から77年。多くの住民が戦禍に巻き込まれ、おびただしい犠牲者を生んだ。二度と同じ過ちを繰り返さないように。大切な命を犠牲にしないように…。戦争体験者が少なくなる中、私たちは戦争を生き延びた人々の体験、思いを子どもや孫たちに伝え、つないでいく。


 琉球新報と信濃毎日新聞はアジア太平洋戦争の教訓を未来に伝えるため、連携した紙面づくりに取り組んでいる。沖縄戦を指揮した第32軍が拠点とした首里城地下の第32軍司令部壕と、この間、本土決戦に備えて造られていた長野市の松代大本営壕。二つの壕を通じ、当時の国体護持・軍国主義優先思想が沖縄を犠牲にし、多くの人々の生命を奪った事実や背景に迫る。

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沖縄戦では、住民は軍との「共生共死」を強いられた。追い詰められた住民の生死を分けた背景に何があったのか。それぞれの分岐点を探る。

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 太平洋戦争で敗戦色が濃い中、沖縄戦に突入した日本軍。人員不足で住民も“戦力”として戦場に送られた。沖縄戦から76年。中学や高校の歴史教科書には「沖縄の住民もよく協力した」などと動員を肯定し戦争を美化するような記述も出ている。国策の果てに住民が経験した動員の実態と背景に迫る。

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紙面で県民、読者に募って寄せられた戦時中の体験記を紹介する。

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 沖縄戦の悲劇や理不尽を象徴する映像として県民の心に刻まれる「震える少女」。昨年、あの少女が私だったと名乗り出た女性がいた。沖縄戦の体験、戦後の歩み。74年語ることができなかった物語を漫画で紹介する。

「震える少女」の物語(前編)

「震える少女」の物語(後編)




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