「言葉を刻む」の記事一覧
いまは科学者が戦争を 意識しなくなってしまった 言葉を刻む(14)
2020/09/16
#戦後75年
いまは科学者が戦争を 意識しなくなってしまった 益川敏英さん(ノーベル物理学者) ノーベル物理学賞受賞者の益川敏英さんは、科学者の軍事研究への加 ...
母は遺骨もない墓に向かって「出てきておくれ」と泣きついていた 言葉を刻む(13)
2020/09/16
#戦後75年
母は遺骨もない墓に向かって「出てきておくれ」と泣きついていたが、兄は出てきてくれなかった 京都市右京区、岩崎三之利さん 1944年8月、兄・治三 ...
今思えば、軍にマインドコントロールされていた 言葉を刻む(12)
2020/09/16
#戦後75年
今思えば、軍にマインドコントロールされていた 広島市東区、浅田四郎さん(島根県津和野町出身) 1944年8月5日、オーストラリア・シドニーの近く ...
超低空飛行の艦載機は既に手が届きそうに近い 言葉を刻む(11)
2020/09/16
#戦後75年
超低空飛行の艦載機は既に手が届きそうに近い 福井県敦賀市、岸本博義さん 敦賀駅に勤務していた。艦載機が現れたのは1945年7月30日午前。B29 ...
本当に哀れなもんだ 言葉を刻む(10)
2020/09/16
#戦後75年
数合わせのように農村から多くの者が戦地に行かされた。本当に哀れなもんだ。 岩手県遠野市、菊池茂さん 農家の跡取りだった父萬慶(まんけい)さん(1 ...
しばらく見つめたまま 動けなかった 言葉を刻む(9)
2020/09/10
#戦後75年
しばらく見つめたまま 動けなかった 徳島県鳴門市、笹田薫さん 14歳だった1941年、艦艇建造の中心地として有名な軍事施設である旧呉海軍工廠(広島県)に入廠 ...
今でも夢に見らあや、玉城や渡辺を 言葉を刻む(8)
2020/09/10
#戦後75年
今でも夢に見らあや、玉城や渡辺を 高知県黒潮町、武政福一さん 1945年4月、「水上特攻」を命令され沖縄へ向かう駆逐艦「涼月(すずつき)」に乗っていた。 ...
こいつを聞く時は涙がこぼれた。「玉砕ス」 言葉を刻む(7)
2020/09/07
#戦後75年
こいつを聞く時は涙がこぼれた。「玉砕ス」 山形市、高橋良太郎さん 戦時、通信兵として満州にいた。 大本営などからの命令は暗号化されていたが、前 ...
お父さん、お母さん、姉さん、決して決して淋しがらないでください 言葉を刻む(5)
2020/07/31
#戦後75年
お父さん、お母さん、姉さん、決して決して淋(さび)しがらないでください。現代の青少年の生きる道に私は生きています 鹿児島県出水町、松尾巧さん 1944年11月 ...
内地では伝えられていないこと 言葉を刻む(4)
2020/07/31
#戦後75年
内地では伝えられていないこと 上原兼治さん、沖縄県平和祈念財団事務局長 沖縄県糸満市の国吉の丘に1965年、沖縄に散った山形県人らを慰霊する「山形の塔」が建立 ...
道中は死体だらけ。兵隊より住民の方が多く、五体満足な死体はなかった 言葉を刻む(6)
2020/07/22
#戦後75年
道中は死体だらけ。兵隊より住民の方が多く、五体満足な死体はなかった 木本勇さん、滋賀県大津市 沖縄に配備された第32軍司令部に出向し、首里城地下の壕内で印刷事 ...
戦後75年・言葉を刻む
2020/07/20
#言葉を刻む
今年は終戦から75年。ささやかな日常、笑い声、青い空…。沖縄ではあの時代、たくさんのものが奪われました。 戦場を生き抜いた人たちは高齢化し、肉声を聞く機会は ...
いま注目のニュース
一覧へ