「記者が歩く戦場の爪痕」の記事一覧

山城壕(糸満市)連絡なしに国が整地 生き埋めの5人「遺骨あるはずなのに」<記者が歩く戦場の爪痕>

2020/06/29 #沖縄戦
整地された山城壕跡地付近で、壕の位置を指さして説明する山城区長の仲門保さん(左)=20日、糸満市山城  糸満市の山城(やまぐすく)区と束辺名(つかへな)区の境界 ...

前川民間防空壕群(南城市玉城) 約60基を住民が掘る 戦闘、強制集団死…沖縄戦凝縮の場<記者が歩く戦場の爪痕>

2020/06/28 #沖縄戦

ヌヌマチガマ(八重瀬町新城) 野戦病院の分院、白梅学徒が傷病兵看護 全長500メートルに朝鮮人軍夫や慰安婦も<記者が歩く戦場の爪痕>

2020/06/27 #戦後75年

ヌーザランミ特攻艇秘匿壕(宮古島市)特攻艇という名の「棺おけ」を格納 米軍上陸に備え出撃訓練重ね <記者が歩く戦場の爪痕>

2020/06/26 #戦後75年

名蔵白水の戦争遺跡群(石垣市)軍命で強制避難 「寒い、寒い」マラリヤで859人死亡<記者が歩く戦場の爪痕>

2020/06/25 #戦後75年

コージガマ(恩納村)住民の命を救った壕 見学者のために整備<記者が歩く戦場の爪痕>

2020/06/24 #戦後75年

伊江村民収容地跡(名護市)戦後続いた飢えとの闘い 村民4200人が帰郷待つ<記者が歩く戦場の爪痕>

2020/06/23 #戦後75年

公益質屋跡とアハシャガマ(伊江村) 時が止まった大穴 「集団自決」すし詰めで恐怖と戦い<記者が歩く戦場の爪痕>

2020/06/22 #戦後75年

与那城監視哨跡(うるま市)10代の監視員、24時間体制 10・10空襲の弾痕残る<記者が歩く戦場の爪痕>

2020/06/21 #戦後75年

浦添市の前田高地 険しい崖をめぐって戦闘 半数超える地域住民が犠牲に<記者が歩く戦場の爪痕>

2020/06/20 #戦後75年

奉安殿・忠魂碑(沖縄市) 皇民化の象徴、残る威圧感 菊花紋には弾痕か<記者が歩く戦場の爪痕>

2020/06/19 #戦後75年

日本軍トーチカ(読谷)銃眼の前、兵士の思いは…米軍上陸前に放棄<記者が歩く戦場の爪痕>

2020/06/18 #戦後75年

161・8高地陣地(中城)聖地から激戦地に 8割120人が戦死<記者が歩く戦場の爪痕>

2020/06/17 #戦後75年

クマヤーガマ(北谷) 数百人避難「砂辺の守り神」 暗闇を抜け広がる空に安堵<記者が歩く戦場の爪痕>

2020/06/16 #戦後75年

特攻艇秘匿壕(北谷) 爆雷抱え片道切符、兵士の思いは…<記者が歩く戦場の爪痕>

2020/06/16 #戦後75年