<南風>ひめゆりの証言員たち(1)


社会
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 ひめゆり資料館の開館後、ひめゆり学徒隊の生存者たちは来館者に戦争体験を伝える活動をするようになりました。資料館は「物に語らせる」という展示方針を採っていたのですが、物だけでは伝わらないということで、生存者が展示室に立って説明することになったのです。沖縄戦を証言するという意味で、彼女たちは「証言員」と名乗るようになります。

 彼女たちは戦争が終わった後、生き残ってよかったと素直に喜んだわけではありませんでした。学友とともに戦場に動員され、一緒に働き、一緒におしゃべりし、一緒に砲爆撃の中を逃げ回っていたのに、学友だけが亡くなってしまい、「自分だけが生き残ってしまった。亡くなった学友に申し訳ない…」という思いを抱くようになったのです。

 その思いは遺族に対しても同じでした。「なぜ娘は死んで、あなただけ生き残ることができたのか」―そう問われているような気がして、遺族に会うことが何より辛いことでした。

 そのような亡き学友や遺族への思い、あの過酷な戦場を思い出したくないという思いから、彼女たちは戦後長い間、戦争体験を語ることはありませんでした。しかし、戦後40年近くが経ち、戦争のことが多くの人の心から忘れ去られようとしていると感じるようになり、ひめゆりの先輩や後輩たちと力を合わせ、資料館を建てることになったのです。

 彼女たちは最初からすらすらと戦争体験を話していたわけではありません。学友が亡くなった時のことに話が及ぶと言葉が詰まったり涙が出てきたりして、来館者に先に進んでもらうこともありました。それでも真剣に話を聞き、共感の思いを寄せてくださる来館者に励まされながら、伝えることの意義と使命感を感じ、証言活動を続けていくことになったのです。
(普天間朝佳、ひめゆり平和祈念資料館館長)