<社説>沖国大ヘリ墜落20年 地域間で連帯して運動を


<社説>沖国大ヘリ墜落20年 地域間で連帯して運動を
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 2004年のきょう、沖縄国際大に米軍普天間飛行場所属の大型輸送ヘリコプターCH53Dが墜落・炎上した。県民に奇跡的に負傷者はいなかったが、普天間飛行場の危険性を思い知らされた事件だった。20年たっても何一つ問題が解決していない。しかし、風化させることも諦めることも許されない。若い世代に伝えながら全国と連帯し、解決に取り組んでいくしかない。

 事件が県民に与えた衝撃の第1は、何がどこに落ちてくるか分からないという、基地あるがゆえの危険である。12年に普天間飛行場へ強行配備された垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが16年12月に名護市安部の海岸に墜落した。

 17年10月にCH53Eが、東村高江の牧草地に不時着・炎上し、同年12月に窓枠を宜野湾市の普天間第二小学校の運動場に落下させた。窓枠落下の6日前にも、近くの保育園の屋根にCH53の部品が落下した。有機フッ素化合物(PFAS)による河川や地下水の汚染も同飛行場が汚染源とみられる。普天間飛行場はただちに閉鎖・撤去すべきだ。

 衝撃の第2は、米軍基地の外であっても日本の捜査権が及ばなかったことだ。米軍が張り巡らせた規制線の中に入れたのはピザの配達人だけだったことから、現代美術家の照屋勇賢氏はピザの箱で作品を制作して風刺した。

 批判を受け、翌年に日米が定めた事故対応のガイドラインは、規制線を共同管理するとしただけだ。東村の事故でも問題になり、ガイドラインは19年に改定され「迅速かつ早期の立ち入り」ができることになったが、米軍の同意が前提なのは変わらない。

 昨年11月の鹿児島県屋久島沖での米空軍横田基地所属のCV22オスプレイ墜落でも、海上保安庁は米軍から捜査への協力を得られていない。沖縄での事件同様、不起訴に終わる可能性が高い。

 かつて、福岡県、神奈川県、愛媛県の墜落では日本側は立ち入りができた。全国的に主権が失われている状況だ。日米地位協定改定を改めて全国に訴える必要がある。

 衝撃の第3は、全国的な関心が低かったことだ。発生当時、アテネ五輪開幕もあって特にテレビニュースの扱いは小さかった。その後、普天間飛行場の移設先とされた名護市辺野古を巡る問題でも、日本政府は、県民投票や選挙で示された民意を踏みにじり続けている。内外の世論を高める努力がさらに求められる。

 10日に宜野湾市で、米兵の性犯罪に抗議しオスプレイの飛行停止と普天間飛行場の閉鎖・返還を求める県民大集会が開催された。2500人が集まり、日米地位協定の抜本的見直しと基地の整理縮小も求めた。11日には沖縄市で「『沖縄・九州・西日本から全国に広がる戦争準備』報告意見交換会」が開かれた。

 世代間でも地域間でも連帯し、幅広く連動した運動を展開しなければならない。