<南風>御膳本草との出合い


社会
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宮國 由紀江

 私が研究している琉球の食医学書「御膳本草」は入院患者さまがきっかけだ。栄養状態や食事摂取状況を把握するため病室を密に訪れていた。外科病棟では「手術した後に田芋は給食で出すな」「ぜんそくにはアヒル汁」「体力が落ちているからチムシンジ」など、お年寄りが訴えるのだが、私は何を言っているのかさっぱり理解できず、調べようとも思わなかった。

 その後、病院を退職し数年後、薬膳を学ぶため東京へ月2回通うことになったのだが、始めの授業に衝撃を受けた。患者さまがあの時言っていたことと授業内容が似ていたのだ。体に熱がこもっている時はゴーヤー、体力がない時には芋など。私は沖縄のお年寄りが言っていることを東京に学びに来ている。不思議に思い、「もしかして沖縄にも薬膳の考え方が書いてる書物があるのでは」と思い調べたら、あったのだ。

 1834年、御殿医の渡嘉敷親雲通が琉球時代に書いた書物だ。その本を手にした時にすぐに「田芋・あひる」ページを開き何と書いてるかを調べたところ、「傷が有る者は十二月からお正月の月の物は食って良い、しかしそれ以外の月は食ってはならぬ」と書いてある。あの時の患者さまの言葉を思い出し、心の中で「あーごめんなさい」と叫んだことは忘れられない。

 ところで御膳本草のことを私のブログに投稿したら、「私は琉球時代に残された書物を翻訳しているが、私もその書物のことは知らなかった。これからその書物を探してみるから手に入れば訳し、あなたにプレゼントします」とのコメントがあった。しばらくして「みつかったよ。訳したので取りに来てください」と連絡が入った。一度もお会いしていない方だが、渡嘉敷親雲の引き合わせと感じる。人は願えばかなう。思い続ければ必ずかなうと感じさせられた。

(宮國由紀江、国際中医師)