<南風>おとなの居場所


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 ほとんど毎日通っているその食堂では、常連の女性客5人がカウンター一列に並んで座る。私もその一人だ。カウンターの向こうで私と同年代のMさんが、野菜中心の日替わり定食を作ってくれて、食後にはサイフォンで淹(い)れた香ばしいコーヒーが付いてくる。いつもの面々で和気あいあいと、隣同士、カウンター越しにお喋(しゃべ)りを楽しむ。

 全員が別々の職場からお昼だけ集まってきて慌ただしく1時間を過ごすのだ。女性たちは、いま熱中していること、学校、地域、親や親戚、仏壇や祭祀(さいし)の細々としたことまで、情報を提供しあう。家族に起きたことや職場での悩み、何を話しても誰かが相槌(あいづち)を打ち、アドバイスを返してくれる。背景の異なる、これまで知り合いでもなかった人たちがいつのまにか親友同士のように、励まし合う関係になっていることにふと気づく。

 私がこのカウンターに座るようになって3年が過ぎた。この間、毎月開催されるMさんの料理教室に参加したり、Oさん宅のデッキで観月会を開いてみんなでマシュマロを焼いたり、趣味が高じてダンスのインストラクター目前のRさんからレッスンしてもらったりと楽しいこともあったが、Iさんは連れ合いを、Oさんはお父さんを亡くしたりとお互い辛いこともたくさんあった。それぞれが人生の達人とも言えるアラフィフの6人だから、一を聞いて十を知るが如く、相手を慮(おもんぱか)って絶妙な距離感で付き合ってこれた。

 先日、端っこにいた男性客も帰り、夢中になってお喋りに興じていた我々を前にMさんが「あなたたち、まるで法事で集まった親戚の叔母さん達みたいよ」と目を細めてうれしそうに言った。

 家庭、職場、社会活動の場と、この食堂。大人にも居場所は必要だ。そしてそれはたくさんある方が、きっといい。
(秋吉晴子、しんぐるまざあず・ふぉーらむ沖縄代表)