<南風>心の支え


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 私には2人の子どもがいる。客室乗務員の人財育成に取り組んでいたチーフの頃、30歳で一児の母となり、37歳に2人目の子どもを授かった。この春から新社会人、高校1年生と、あっという間に成長した。

 私の仕事は宿泊を伴う不規則なシフト勤務で家を空けることも多く、毎日子どもたちの顔を見ることはできない。運動会にさえ参加できないこともあった。育児と仕事の両立で悩むこともあったが、家族の強力なサポートのおかげで仕事を続けられた。

 息子が1歳の時、額を3針縫う大けがをした。当日のことで交代要員がいなかったため、休むことができず、そのままフライトした。実家の母が息子の面倒を見てくれたが、この仕事の厳しさを思い知った。

 2回目の育児休職から復帰した1年後の41歳、客室乗務管理職になった。急なフライトで帰宅できないこともあった。深夜、実家に子どもを迎えに行く時は心が痛んだ。そのことを時々話す15歳の娘、将来の夢はキャビンアテンダントと聞いて胸が熱くなる。理由を聞くと「だって、お母さん、仕事が楽しそうだもの」。彼女は私が実際に乗務している姿を見たことはない。

 3月、大阪にいる息子の大学の卒業式に参列した後、息子からもらった手紙を帰りの機内で読んだ。「母さんへ 22年間、僕を育ててくれてありがとうございました。仕事にも、プライベートにも、そして僕たちとの家庭にも全力で向き合う母さんを、僕は本当に尊敬しています。社会人になって、早く一人前になって、僕が母さんを支えられるようになります」とあった。

 シングルマザーの私を支えてくれた子どもたち。肝心な時に一緒に過ごせなかったが、私のことをきちんと理解してくれていることが何より嬉(うれ)しい。彼らの存在があったから今の自分がいる。

(亀川智子、JTA客室乗務員 JALJTAセールス法人G長)