<南風>居場所は自分でつくる


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 以前勤務した中学校に面白い生徒たちがいて、お昼の校内放送を「あめんぼ司令部」と名付け画期的な放送を行っていた。私は好きで応援していたし、練習にもよく立ち会った。しかし、周囲の評判はいまひとつで、せっかく何回も練習した大切なオチの直前に、給食担当の先生のあまり大切でない放送に遮られては悔しがっていたのを思い出す。高校に進学してからはFM放送局をまわってプレゼンし、ついに番組の枠を獲得して、「あめんぼ司令部」は公の電波にのることになってしまった。

 ある日、この高校生DJから「来週が最終回だから、教頭先生、必ず聞いてよ」と連絡があった。当時、私は県立美術館に勤務していたが、彼にとって私はずっと教頭先生であるらしい。まあ、よくスベる子だからと期待せずに放送を待つ。「居場所は自分でつくるんだよ」と中学校の時、教頭先生がいつも言っていた。僕は、それはこういう意味だと今になって考える、と解釈を熱弁する。僕のとっても大切な言葉だと放送で言った。彼が育てたこの言葉は、私にとっても大切な言葉となった。

 うちの先生方に、子どもたちに次の力をつけてと言っている。「自分を好きになること」「繋(つな)がっていることに気付くこと」「居場所は自分でつくること」の三つだ。これに応えて、生徒会が「学校を変えるあなたの特技」を全校生徒に募集し始めた。

 本校は、琉球王朝時代に中国大陸からの渡来人が住んだ久米の地に建つ。中国との外交や貿易を担い、琉球王国の大交易時代を支えたのがこの地域である。自分自身の特性を見つめ、志を持ち深く学び続け、広い視野を持って大きく世界へと飛び立つ、それがこの地の先人が私たちに残してくれたメッセージではないか。そう、彼らも、自分を信じ、繋がりを尊び、居場所を自分でつくったのだ。
(前田比呂也、那覇市立上山中学校校長 美術家)