コラム「南風」 『かりゆし』に揺られて


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 4月、新年度。この時季になると、夢見心地で貨物船「かりゆし」に揺られていた18年前を思い出します。
 生徒数が少なく、新入生が欲しいという要望に応えて、私は親元を離れ、父の故郷である鳩間島の中学校へと入学しました。石垣島の小学校を卒業し、進学予定の地域の中学校の制服を作りかけていた時でしたが、従姉妹(いとこ)も誘って祖母の元へ引っ越す決断ができたことを誇りに思います。

 大好きな島で暮らせるという夢のような出来事に、島へ向かう間、「このまま転覆でもするのではないか」と何度現実を疑ったことか。接岸して上陸するまで本当に信じられませんでした。
 こうして祖母と曾祖母(そうそぼ)と一つ下の従姉妹との4人暮らしは始まりました。
 朝、目が覚めると、草木の匂いと鳥のさえずり、太陽を浴びて朝露がキラキラしている中で歯を磨きます。40人ほどの島民はみんな家族のようで、大きな声であいさつを交わし、草道を走りながら学校へ。
 授業は1対1。時には小中合同授業で、学活では目の前の海辺に降りてタコや貝を捕り、休み時間は校庭から釣り竿を垂らし、体育は島一周マラソン。休日は先生方と一緒に、芭蕉の葉に包んだオニギリを持って釣りへ行ったり、畑を手伝ったり。学校給食はいつもおいしく作りたて。島でとれた魚や野菜が出ました。
 運動会や星砂採集、学芸会などの学校行事は島民も参加。祭りの夜は大人に交じって朝まで唄(うた)いあかし、静かな夜も楽器を持ち寄ってはおじーたちと音楽ざんまい。いつも島人に囲まれて自然の中を走り回り、終わらぬことを願っていた楽園のような日々。その経験がいまの私を支え、活力となり、大きな決断をする時の要となっています。
 そんな島への恩返し、そしてそこで培った心を大事に歌っていくことが私の務めだと思っています。
(鳩間可奈子(はとまかなこ)、沖縄民謡歌手)