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「沖縄戦を知ること」はゴールなのか 安里拓也(さびら平和学習講師)<未来へいっぽにほ>


「沖縄戦を知ること」はゴールなのか 安里拓也(さびら平和学習講師)<未来へいっぽにほ> 安里 拓也
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 夏の暑さが落ち着いた頃、大型バスに乗った学生たちが沖縄本島南部の戦跡を巡る。摩文仁の丘では約24万人の名前が刻まれた刻銘板を横目に、笑顔で集合写真を撮る。沖縄では、よく見慣れた光景だ。

 彼らにとって平和学習は旅の一部でしかない。沖縄戦を学ぶ時間や機会は限られている。単純に資料館を巡るだけでは、沖縄戦を知識として「知ること」はできるが、過去の話として完結してしまい、現在との繋(つな)がりには至らないのかもしれない。「知ることができて良かった」で終わらせないためには、自分との小さな繋がりを感じる学びを生むことが大事だ。

 最近受け入れた修学旅行生のフィールドワークのテーマを「学徒の足跡」と設定した。ひめゆり学徒隊、白梅学徒隊、鉄血勤皇隊、三つの学徒の視点から、彼らが沖縄戦にどのように巻き込まれていったのか、現在どのように継承されているのか、慰霊碑をたどりながら一緒に考えた。

 当時の学徒は、戦争をよく分からないまま動員されていた。遺骨のそばに落ちている筆記用具はそれを象徴している。“生徒と学徒”、生きる時代は違うが、同世代の若者たちが向き合う瞬間だ。「当たり前の日常が戦争に変わっていくんだ」。最後に訪れた師範健児之塔の前で、ある学生がぽつりとつぶやいた。

 旅の一部でしかなかったその一瞬が、その後の沖縄の景色を変えて見せるのは、このような気づきの積み重ねだ。さらにその気づきは、現在の私たちを取り巻く風景をも変えて見せてくれる。それはいずれ、過去と現在を繋ぎ、未来を考えていくことにも繋がると信じている。