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転校か、残るか 重い決断 地震被災の奥能登地域 「地元への思い」に向き合い


転校か、残るか 重い決断 地震被災の奥能登地域 「地元への思い」に向き合い 間借り先の校舎に通う児童ら=2月、石川県輪島市
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 能登半島地震で被災した石川県の奥能登地域で転校が相次いだ。避難生活が続く中、保護者は子どもの希望に向き合いながら、住まいや仕事も絡み合う難題に直面。地元で通わせるか、転校か。重い決断となっている。
 能登町の女性(50)は、断水が続き、学校の再開も見込めなかった1月、家族で金沢市へ転居した。中学生の娘は地震後ふさぎ込み「勉強がしたい」と話したことから、家族で何度も話し合い、転校を決めた。
 都市部の大人数の学校になじめるかどうか心配したが、娘は初日に「お母さん、友達できたよ。みんな親切だった」と笑顔で話した。その後も問題なく通い、能登町の友人とも交流が続いているという。「迷いも不安もあったが、転校を選んで良かった」と振り返った。
 金沢市に家族で避難している船板知佳子さん(40)は新年度を前に、地元の輪島市に戻ると決めた。中学2年の長男(14)は白山市に集団避難し、小学5年の長女(11)はアパートで暮らしながら、オンラインで授業を受けていた。
 自宅は地震で被災し、住めなくなった。一時は「輪島に戻るのはもう無理」と考え、金沢で新たな仕事を探すつもりだったが、子どもたちの地元への思いは強かった。
 4月から輪島市内の実家で寝泊まりしながら、2人を通学させることにした。家屋にゆがみが生じているが、「仮設住宅に入れない以上、仕方がない」と腹をくくる。
 東京学芸大の大森直樹教授(教育史)は「転校する子どもは葛藤を抱きやすい。学校は安心して気持ちや被災体験を話せる場所でなければならない」と指摘する。
 教員や在校生は、受け入れた場合の対応を事前に話し合ったり、能登の文化も学んだりして、転校生が溶け込みやすい環境を整えることが重要だとしている。