自らの立場で史実捕らえる 非暴力不服従の意思示す 郷土の歴史を継ぐ<民の思い背に 自己決定権の道標>⑨


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カタルーニャ歴史博物館の入り口=バルセロナ

 カタルーニャ自治州の独立運動で中心的な役割を担う民間団体のカタルーニャ国民会議(ANC)で、政治・国際分野を担当するジョルジ・ビラノバ理事(61)はカタルーニャ人だが「父はパリ、私はロンドンで生まれた」と語る。

 祖父は1920年代、スペインのプリモ・デ・リベラ独裁政権に抵抗してフランスに亡命。パリで父親が生まれた。民主化で家族はカタルーニャに戻るが、父も独立運動に関わるようになり、その後のフランコ独裁政権に追われて英国へ移った。ビラノバ氏はロンドンで生まれた。家族は自己決定権の回復を求め、圧政と闘ったカタルーニャの歴史をなぞるように生きてきた。ビラノバ氏がANCの設立に携わったのは「自然な流れだ。独立の必然性は明白だと考えるようになった」と語る。

 75年まで続いたフランコ独裁でカタルーニャ語が禁じられた中で教育を受け、母語を十分に話せない世代が各家庭にいる。ビラノバ氏に限らず、政治によりアイデンティティーを踏みにじられた記憶は家庭で語り継がれている。

 バルセロナ旧市街地の近くに、州政府が管理するカタルーニャ歴史博物館がある。カスティーリャ語や首都マドリードを中心とした歴史が強制された独裁政権下の学校を、民主化後の状況と比較した展示など、歴史をカタルーニャの立場で伝えている。

 民主化後にカタルーニャ語が公用語とされ、学校でも必修となった。歴史をカタルーニャの立場で捉え直す取り組みも各界で進んだ。子どもたちが郷土の歴史に触れるための絵本も多く出版されている。

 人々が郷土の歴史を共有している様子は現在の独立運動の集会、デモでも見られる。今年1月初旬にあった新春デモの参加者は、バルセロナの高台にあるシウタデリャ公園に、門扉を破って突入した。18世紀のスペイン継承戦争でバルセロナを陥落させたブルボン朝が、人々を監視するための要塞(ようさい)を築いていた場所だ。

 欧州最大規模の星形の要塞を建設するため1200軒の住宅が壊され、4500人が住む場所を失った。カタルーニャが独立を失った敗戦とその後の抑圧を象徴する場所で、非暴力不服従の意思を示した。

 ビラノバ氏は「市民社会は継続的に独立を求めている。今後も諦めることはないだろう」と話した。

(宮城隆尋)