深部から超克する詩 宮城英定さんを悼む(詩人・新城兵一)


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第23回山之口貘賞受賞者の宮城英定さん

 詩人の宮城英定さんの訃報に接したのは、6月13日か14日だったと思う。宮城英定さんは、83年の生涯のうち還暦をちょっと過ぎたころ発病し、22年間の闘病生活を強いられ、それがためにその後の詩作活動は困難、あるいは休止のやむなきに至った。

 思い返せば、宮城英定の詩活動の開始は、1964年の詩誌「ベロニカ」に始まる。そのころ、那覇でそれを手にし、彼の詩編に触れて、「なんて美しい詩を書くひとだろう」と印象に残った。年代順に彼が関わった同人(個人)詩誌をあげてみると、70年代には、彼一人の個人誌だが、「眼欲」があげられる。80年代には「詩・批評」、「原郷」などに関わり、2000年代には「あらん」の創刊同人になっている。

 「あらん」の創刊号には、彼の「『感性のマルクス』山之口獏の詩と思想」というエッセーが掲載されている。この種のエッセーや評論も他にも多数あるはずで、今では散逸しているだろうから、これの収集・整理も残された者たちの仕事と言わねばならない。

 これまで見てきた個人誌・同人誌における40年に近い詩作活動の集大成とも言うべき詩集が、獏賞詩集『実存の苦き泉』であって、それはついに彼の生涯における唯一の詩集となったわけだ。

 『実存の苦き泉』は、1とⅡの2部構成からなり、詩篇は全部で48編収録されている。どちらかといえば、Ⅱのパートに、研ぎ澄まされた言語意識のもたらす秀作が多いが、Ⅰのなかの詩編―「毒消し草」(素描―佐川一政とは誰か)は特異的で難解な作品だが、1981年にパリで起こった「人肉食事件」を始めて詩作品化したという意味で、特記すべき作品である。

 ここでは、特に優れているというわけではないが、詩行の数が少なく、完成度が高い詩編という意味で、パートⅡ収録の「花」を全編引用する。

 ひき裂いた傷が/ことばを吸いつづけているときに/ぬかる沼には/肉の花が咲き/さかっている/この明るすぎる空に わたしは/夢の内坑からおかされ/血のかわりに/ことばを流し/立ったまま/石になってしまうかも知れない/滅びることが/花のよろこび/花のくらい中心白夜のなかに/思いをこらし/歩巾をたしかめながら降りていく

 宮城英定は、1938年生まれだから、清田政信や東風平恵たちと同じ60年代詩人に属するわけだが、どうしたわけか、彼は、60年代の政治的(文学的)共同性や沖縄の政治風俗の共同性からも無縁の孤独な場所で、言語意識をきりきりと先鋭化する凝縮の時間を所有していたために、状況の深部からそれを超克する多くの優れた詩編を生みだすことができた。

 「存在にとら/われた者は永遠にことばか/ら逃げられない」とは、彼の詩編中の数行だが、このように彼は言語に対する厳しい姿勢を終始貫き、詩集『実存の苦き泉』は、それの硬度の高い結晶体だといえる。

 そんな厳格な言葉に対する姿勢は、日常生活における人間関係までも強靭(きょうじん)な糸で貫かれていたし、他者に静かに耳を傾け、異見があれば、ゆっくりと論理的に話す説得力は、驚異的に優れていたように思う。

 彼の安らかな眠りを祈るとともに、彼にどこまでも全幅の信頼と愛を注いで、看病にあたった妻和子さんの今後のご健康を切に期待するところである。


 詩人の宮城英定さんは6月11日死去、83歳。