新垣雄久さんを悼む「実直で説得力ある雄弁家」(談話・比嘉幹郎元副知事)


社会
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新垣雄久氏

 新垣雄久さんの訃報を聞き、大きなショックを受けている。新垣さんの友達だった石川秀雄元副知事が亡くなったばかりだ。何年か前から体調を崩していると聞いて、心配していた。昨年は新型コロナウイルスの影響で会うこともできず、元気にしているのかと気に掛けているところだった。

 教育長や出納長を経験して行政経験が長く、副知事時代は特に社会福祉や教育関係に力を注いでいた。私が副知事だった時代も、新垣さんを最も信頼し、期待を寄せていた。副知事を退いた後も、私の後の沖縄振興開発金融公庫副理事長を担ってもらうなど、さまざまな形で付き合いがあった。多くの方から信用される、実直で真面目な人柄の方だった。非常に雄弁家で物事をはっきりと言い、説得力もあった。保革問わずに、多くの方と付き合いがあったと思う。沖縄戦で両親を亡くし、長く遺族関係の仕事に情熱を持って取り組んでいた。県立芸術大学の創設など、さまざまな事業に関わってきた。

 特に1987年の海邦国体の開催は、誇りに思っていただろう。県社会福祉協議会の会長も長くされていたが、2015年に現在の湧川昌秀会長に引き継いだときには「肩の荷がやっと下りた」と語っていたことが印象的だった。

 西銘順治知事を支えてきたメンバーでつくる「銘友会」の一員でもある。西銘さんが現職の時代から続いていて、現職を退いた後も皆で集まり交流を深めてきた。昨年は感染症の影響で会合を開くことができず、会えなかったことが心残りだ。
 (談、元副知事)