「生かされたのだから、伝えなければ」強い意志 宮良ルリさんを悼む 前泊克美


社会
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全国各地で戦争体験を伝えてきた宮良ルリさん(ひめゆり平和祈念資料館提供)

 宮良ルリ先生の訃報を聞き、寂しく思うと同時に、宮良先生のことがいろいろと思い出された。初めてお会いしたのは、1999年。私は大学4年生だった。卒業論文の調査のため、宮良先生にインタビューを申し込んだのだ。とても緊張していたので、ちゃんとあいさつして、質問ができたかどうかも怪しいが、丁寧に優しく質問に答えてくれたことと、最後に「あなたのような若い人が知ることが大切だから」と励ましの言葉をもらったことが印象に残っている。

 2001年に資料館に入り、一緒に仕事をするようになると、普通のおばあちゃんとしてお孫さんのことを話したり、幼い頃の石垣島での思い出を聞かせてくれたりと、いろんなことをおしゃべりした。

 企画展の立案や生存者への体験記録執筆の呼び掛け、所蔵写真の聞き取り、20周年記念誌の編集などを一緒に行い、多くの人に沖縄戦を伝える姿も見てきた。04年の展示リニューアルの際は、リニューアルのための会議に連日参加し、終了後講演に行くという日もあった。体力的にもとても大変だったと想像するが「大変」「疲れた」と弱音を吐くのを聞いたことがなかった。宮良先生は伊原第三外科壕(ひめゆりの塔の壕)でくしくも生き残った1人。壕が攻撃された時、苦しみながら父母や先生を呼ぶ友人の最後の声を聞いている。思い出すのもつらく苦しい体験を懸命に伝えてきたのは、ひとえに「生かされたのだから、伝えなければ」という強い気持ちがあったからにほかならない。

 幸運にも資料館で働くことになり、長年身近でその姿を見ることができた。「再び戦争を起こしてはならない」と活動を続けてきた宮良先生の思いを、さらに次につなげていきたい。

(ひめゆり平和祈念資料館学芸員)