色川大吉さんを悼む 時代のともしび、行動する歴史学者 三木健


社会
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県内関係者らが参加した「『民衆史50年』色川大吉先生を囲む集い」で講演する色川大吉さん=2014年11月5日、那覇市おもろまちのザ・ナハテラス

 時代の大きなともしびを失った思いだ。私が色川大吉さんと初めてお会いしたのは、1976年ごろだった。名護市屋部の山入端一族(屋号・眉屋)の歴史を記した代表作「眉屋私記(まゆやしき)」の著者である作家の上野英信さんに連れられて私のアパートに来られ、泡盛を酌み交わした。

 当時、私が書いた「西表炭鉱概史」を色川さんに差し上げ、読んでいただいた。色川さんには民衆史の視点から「優れた本だ」と評価していただいた。研究を深め、一歩進んで民衆史運動にまで発展させていく色川さんに啓発された。

 民衆史の視点で歴史を見直し、沖縄の近代史の欠落も指摘するなど、研究者へ刺激や影響を与えた。戦後の米統治下でどのような問題があり、どう打開するかについても提言し、啓発された読者も多い。

 私は、山梨学院大学教授を退官した我部政男さんと一緒に山梨県八ケ岳南麓に住む色川さんを年1回、訪ねる旅を2010年から始めた。14年には、色川さんの代表的な著書「明治精神史」刊行から50年を記念し那覇市で講演会を開き、講師に招いたこともある。

 優しいお人柄で、文章も美しく素晴らしい。優しさの中に鋭い指摘をされて、読む人の心に訴える。そんな魅力的な人だった。

 行動力もある。新石垣空港の計画段階で公害の問題が浮上した際には、自ら酸素ボンベを背負い、海の公害を調べたこともある。行動する歴史学者だった。

 7日は、色川さんの沖縄への視座や沖縄側の識者10人による色川さんの論考を収録した著書「沖縄と色川大吉」の刊行日だった。くしくもその日に息を引き取り、旅立ったのも因縁を感じる。多くのものを私たち国民に残されて旅立たれた。これを沖縄の未来、現実を考える一つの足がかりにしてほしい。

 刊行を報告し、お礼に行くつもりで色川さんに会いに山梨県八ケ岳の山荘に来ていたところで、体調が急変した。19日はジュンク堂書店那覇店でトークイベントを予定し、色川さんもオンラインで参加予定だった。残念だ。ご冥福をお祈りしたい。色川さんの志を継いでさらに頑張っていきたい。(談、ジャーナリスト)