仲宗根正和さんを悼む 格差ない沖縄市を追求(高良武・元沖縄市助役=談話)


社会
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沖縄市長に初当選した時の仲宗根正和さん(右)と妻の貞子さん=沖縄市の自宅(1998年4月27日)

 仲宗根さんは共に市の部長時代から深く知るようになったが、いつも温厚で実直、紳士的な人だった。年下の私にも非常にフレンドリーで兄貴分的に部下を連れ立って飲みに行っていた。誰かを怒鳴ることは見たことがない。イデオロギーはなくて人柄が良く、与党からも野党からも「市長選に出るべし」と言われていた。その人物像を物語る一番のエピソードだと思う。

 琉球電力公社(当時)や外車販売メーカーに勤務していた仲宗根さんは、地元胡屋の先輩だった前田盛繁助役から引き抜かれてコザ市役所に入り、財政課長に採用された。地元の同級生や後輩の人物評を聞いてもみんなが「頭脳明晰(めいせき)」と口をそろえていたが「その能力を生かしてほしい」と役所に引き抜かれた異色の経歴の人だった。私が物事を一つ言えば、二つも三つも先を読んでいる感度のいい人だった。

 市長在任中は東部海浜開発事業の着手や沖縄こどもの国のリニューアルなどに力を入れたが、私の印象では福祉への思い入れが強かった。「とにかく市民に格差のない行政をしっかりやるべし」という信念を持っていた。沖縄市が嘉手納基地に陸地を取られる中、仲宗根さんが着手した東部海浜開発は海側に市の発展を求めた。格差がなく、暮らしやすい沖縄市を目指していた。

 助役として仲宗根市長に仕えたが、僕は酒も飲まないので、市長の在任中にあまり多くを語る時間もなかった。引退して月に一度くらい会い、ようやくゆっくり話すようになった。せめてあと10年は元気でいてほしかった。安らかにお眠りになってほしい。天に昇ったら大きな星となり、みんなを照らしていてほしい。
 (元沖縄市助役、談)