多くの政治家育てた 島袋宗康氏を悼む 糸数慶子・前参院議員


社会
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 政治の師であり、父のような存在でもあった。ずっと平和ガイドをしていた私を政治の場に押し上げてくれた。沖縄県議に誘われたが政治経験がなく、育児もあって何度も断っていた。

 けれども「平和ガイドとして沖縄の問題にずっと取り組んできたでしょう。それを議会でやれば良い」と説得され、下の子どもが8歳になった時に「もう大丈夫でしょう」と。8年待ってもらったが、情熱に負けた。今では政治の世界を歩ませてくれたことに感謝しかない。

 私が県議になったころは、政治は夜つくられるとされた時代。育児で夜の付き合いができず、男性議員から「これでも政治家か」と言われた。宗康さんは「昼に一生懸命頑張れば良い。君がそのように頑張ってくれたら世の中が変わる。早く家に帰りなさい」と言ってくれた。土着で泥臭いと言われた社大党だったが、先を進んでいた。

 後継として参院選に出馬した時は、入院していたにもかかわらず、病院を抜け出して応援に来た。本当に面倒見が良い人で、多くの政治家を育てた。人柄も気さく。プライベートでは(島袋)夫妻を「お父さん、お母さん」と呼んで、ずっと付き合ってもらった。

 社大党は復帰政党だったが「自分たちの目指した復帰は実現されていない」と頑張ってくれた。復帰50年の節目に、一つの灯火が消えるのはつらい。沖縄の現状も厳しい。けれども宗康さんが目指した沖縄を実現するために、どうかこれからも見守ってほしい。

(前参院議員、談)