小玉正任さん死去 元沖縄協会長、石敢當を研究 91歳


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 【東京】元沖縄協会会長で文学博士の小玉正任(こだま・まさとう)さんが6日、死去したことが12日、分かった。91歳。秋田県出身。葬儀は近親者で行った。

 小玉さんは東京文理大卒業後、総理府(現内閣府)に入庁。沖縄・北方対策庁総務課長、沖縄総合事務局長などを歴任後、1982年に沖縄開発事務次官に就任。84年に退職後は、国立公文書館長(89~93年)、沖縄協会会長(95~2006年)などを務めた。

 退官後、石敢當の研究に本格的に取り組み、県内外を探訪したほか、石敢當の起源を明らかにし、2003年に筑波大学から文学博士号を授与された。県内外で石敢當に関する講演を精力的に行ったほか、著書も多数残している。

 沖縄総合事務局時代に小玉さんと勤務した宮田裕沖縄大・沖縄国際大特別研究員は「国の官僚として沖縄一筋に生きた人だった。特に離島に対しての思いが強く、島ちゃび(離島苦)を肌で知っている人だ」と振り返った。小玉さんは総合事務局長時代には県内の有人離島全てを3周するなど離島生活の向上に力を入れていたという。宮田さんは「庶民的で県民から慕われていた人が亡くなったのは残念だ」と語った。

 前関東沖縄経営者協会会長の重田辰弥さんは小玉さんが沖縄協会会長時代から親交があった。重田さんは「役人だが、退職した後に学位を取られた異色の人だった。気さくで偉そうなことをしない、親しみやすい人だった」と訃報を悼んだ。

 近代日本政治史が専門の我部政男山梨学院大名誉教授は、琉球大学図書館の沖縄関係資料収集の予算確保に小玉さんが尽力したことを振り返った。

 警察庁にあった「琉球王国評定所文書」の沖縄県公文書館への移管や内閣府の沖縄戦関係資料閲覧室設置などに協力したことを挙げ「定年後も沖縄に知的な面で多大な貢献をした」と述べた。石敢當研究について「沖縄を日本の一般の人に理解させるための媒介とした」と話し、沖縄に情熱を注いだ「文人官僚」をしのんだ。