8選手、親子2代で“聖地”追う「名門」ラグビー継承


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親子2代で花園を追う名護高ラグビー部員たち=16日、名護高校グラウンド(具志堅千恵子撮影)

 親子で追う聖地。ラグビーの全国高校大会県予選で優勝して3年ぶり16回目の全国高校大会(12月27日開幕、東大阪市)出場切符を手にした名護高ラグビー部には現在、親子2代の部員8人が在籍する。2世代で花園出場を決めた選手もいれば、グラウンドに立てなかった父の思いを継ぐ選手もいる。喜びも悔しさもそれぞれの思いを胸に、家族や関係者の熱い応援に支えられるチームが間もなく、初の8強入りを狙う花園の地に立つ。(石井恭子)

 父親が過去にラグビー部に在籍したのは、スタメンで3年のLO前川紘亮、HO比嘉凱、SO玉城柊、2年のWTB仲本拓未と1年のFL喜納英大、補欠で3年のSH大城颯、1年のWTB仲本裕平とHO大城琳の8人だ。父の影響で競技を始めた選手が多い。

 2年の仲本は「3年生を花園に連れて行きたかったので目標をやっと達成できた。親子で行けるのは夢みたいな感じ」と語る。1年の裕平は弟だ。父でLOを務めた義武さん(46)は1987年の海邦国体に出場し、名護が初出場した同年の第67回全国大会で2回戦まで進んだ。2回戦では優勝候補だった熊谷工業(埼玉)に敗れた。「強豪のそろう全国で体力負けしないように頑張って」と激励した。

 前川の父でLOの亮一さん(44)は1990年の第70回大会、名護2度目の出場時に主将を務め、2回戦まで進んだ。亮一さんは「当時のチームは全国でも一番(身体が)小さい方だった。今回も同じだが、大きな相手に勝つしかない」と必勝を願う。前川は「全国でも通用するラインアウトを取る」と闘志を燃やしている。

 スクラムの先頭に当たるHOの比嘉は、花園には行けず「行ってくれてうれしい」という父の馨さん(48)の分もプレーするつもりだ。「セットプレーで攻撃につなげたい」

 「行くからには1回はメイングラウンドで試合をしてほしい」。1990年第70回大会出場時、花園まで行ったが試合に出られなかった父の淳斉さん(43)の思いを補欠の大城が連れて行く。「体力とパスには自信がある。1回はグラウンドに立ちたい」

 同部出身の東恩納寛太が初の日本フル代表に追加招集された朗報も飛び込み、選手らの夢は膨らむ。日々切磋琢磨(せっさたくま)する高校生ラガーマンたちが決戦の冬を迎えている。