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生き方で結ばれる「志縁」とは…沖縄から見つめた女性史 もろさわようこさん追悼シンポ


生き方で結ばれる「志縁」とは…沖縄から見つめた女性史 もろさわようこさん追悼シンポ もろさわようこさんの言葉や活動を振り返った(右から)河原千春さん、源啓美さん、宮城晴美さん=8月、なは市民活動支援センター
この記事を書いた人 Avatar photo 嶋岡 すみれ

 なは女性センターは、今年2月に99歳で死去した女性史研究家・もろさわようこさんの追悼シンポジウムを、このほどなは市民活動支援センターでオンライン併用で開いた。女性、被差別部落、沖縄をテーマに執筆を続けたもろさわさんは、地方の女性史を掘り起こし、女性の視点から歴史を捉え直した。「もろさわようこが沖縄で育んだ『志縁』」と題して開かれたシンポは、生前親交のあった関係者らが精力的な活動を振り返り、功績をたたえた。当日の内容を詳報する。

もろさわようこさん

 (嶋岡すみれ)


女性解放、原点見いだす 源さん

 もろさわさんは1972年に初めて沖縄に来た。女性たちが数日間食を断ち、地域の安寧・発展を願う宮古島の秘祭・ウヤガン(祖神祭)を見て滂沱(ぼうだ)の涙を流した。これこそが平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」の実証だと。以来、50年間沖縄に通い続けた。地域のコミュニティーで、社会の役割を担う沖縄の女性たちに女性解放の原点を見いだした。辺野古や高江などにも足を運んだ。徹底的に現場主義を貫いた。

 もろさわさんは沖縄での活動拠点として1994年に「歴史を拓くはじめの家うちなぁ(現・志縁の苑うちなぁ)」を開いた。みんなで家庭から1品持ち寄って、料理を食べながら話し合いをした。「沖縄について知ることが大事だ。沖縄女性史は沖縄の女性たち自身が掘り起こして記録して後世に伝えていかなければいけない」「あなたがどういうふうに生きたか、ということが次の世代の人たちにとっては女性史である」と言われた。私自身の生き方を問われたと思っている。

 差別の構造も教わった。差別は権力者が支配を効率的にするために作られた仕組み。部落差別の中にも、黒人差別の中にも、女性差別がある。女性は二重にも三重にも差別されている。戦争も差別を利用して起こされると教わった。軍隊による女性への性暴力はその典型例だ。人殺しが仕事の軍隊が存在する。そこに性暴力の原点がある。

 世の中は告発するだけでは変わっていかない。なぜ(問題が)起こるのか原点を探って正していかないと、世の中は変わっていかない。これはすべてのことに通じると、もろさわさんから学んだ。


共感で結ばれる「志縁」 河原さん

 もろさわさんについては、私の前にも(信濃毎日新聞の)先輩たちが何十年と取材をし、書きつないできた。私自身はもろさわさんが88歳の時に取材で出会った。

 もろさわさんのライフワークは女性、沖縄、部落の問題。その仕事の意義は(1)「婦人」という言葉が女性を示す言葉として一般的に使われた時期に、蔑称だった「おんな」の視点をあえて打ち出して女性差別を見据えた(2)単独で長野県の女性通史「信濃のおんな」を書き上げた(3)「信濃のおんな」は地域女性史・聞き書きの先駆け(4)同世代の女性史研究者がウーマン・リブを「無視」した中で、リブに共感を示し、評価した(5)初期著作「おんなの歴史」が1970年代の女性史学習を後押しした―が挙げられる。

 もろさわさんはおんなであることは当事者だったが、沖縄と部落は加害者の立場で、他者を傷つけているかもしれない構造に身を置いている可能性をかなり自覚していた。

 「志縁(しえん)」という概念は、今まで抑圧されてきた女性たちが、地縁、血縁という宿命ではなく、志や生き方への共感で結ばれる「志縁」によって自立を獲得し、権力に対峙(たいじ)していこうという概念であり、実践運動。「ちゅいたれいだれい(一人の足りないところはみんなで補い合う)」のようなものとして機能することを目指した。

 2023年12月の生前最後のインタビューでは、会わなくても志が合致していれば「志縁」は成り立つと考えていた。これは読者を想定していたのではないか。亡くなった後も本を通じてつながっていけると考えていたのではないかと思う。


「もろさわ学」の偉大さ 宮城さん

 私が那覇市職員だった1991年、もろさわさんに1年間女性学の講師をお願いした。その時に「おもろさうし」を例に出し「記録はすべて男たちに都合よく書かれている」と指摘した。「本来の女性たちの姿が書かれていない」と話していた。

 久高島のイザイホーについても、祭りで神になった女性たちが、日常に戻った時の生活の厳しさに言及している。仕事がなく、失業対策事業のため炎天下で肉体労働をしていた。もろさわさんは民俗学からは見えない、女性の生活の実態を指摘していた。

 言葉や文字を作り直すことも提唱していた。例えば漢字の女偏を使ったものには「姦(かしま)しい」「嫌い」「嫉妬」などがある。言葉や文字を変えるところからやらないと、これまで男たちに都合のいい歴史が書かれてきたし、これからも続くだろうと指摘していた。

 また沖縄本島と先島、平民と士族、そうした違いの歴史も調べて書いてほしいとおっしゃっていた。私は那覇市と県の女性史を書いたり編集したりしてきたが、先島がとても少ない。これはものすごい反省事項。

 例えば、旧与那国村では1948年に女性議員が3人誕生している。県全体で見ると数字しか分からない。だが、もろさわさんが現地に行って地域の人と信頼関係を築いたことで、この3人は地域が推薦して、各部落から1人女性を出して当選したことが分かった。何カ月も与那国に住んで、新しい地域の女性史像を出してきた。女性史研究家という言葉では語れない、もろさわ学と言ったほうがいい。そうした偉大さを非常に考えさせられ、突きつけられてきた。


 ■登壇者(五十音順)

 河原千春さん(信濃毎日新聞記者、「沖縄ともろさわようこ 女性解放の原点を求めて」編者)

 源啓美さん(元ラジオ沖縄記者、「沖縄ともろさわようこ 女性解放の原点を求めて」編者)

 宮城晴美さん(沖縄女性史研究家)