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犠牲者悼み 再起誓う 「助けられず、ごめん」 能登地震1カ月


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 能登半島地震で最大震度7の地震があった午後4時10分、被災者らは避難所や役場などそれぞれの場所で黙とうした。「今までありがとう」「助けられず、ごめん」。犠牲者を悼み、思いをはせた。避難を続ける人は先行きが見えない状況に疲れをにじませ、大規模火災で焼け出された人たちは「ここで朝市復活を」と再建を誓った。
 (1面に関連)
 1日は朝から断続的に雨や雪が降り、厳しい冷え込みに。津波警報を思い出すことで苦しまないようサイレンは流れず、防災無線などでの案内に合わせ、多くの人が祈りをささげた。
 大きな被害を受けた石川県珠洲市。避難所になっている市立宝立小中では、20人ほどが校外に出て冷たい風に吹かれながら、津波被害のあった鵜飼地区の方角を向いて、頭を下げた。同校小4の宮口翼君(10)は「亡くなった知っている人に今までありがとうと気持ちを込めた」と話した。
 自宅が被災した同市の女性(75)は「みんなこれからどうするのか分からない。この辺の人と一緒でなければ他へ移るのも気が進まない」と寂しげにつぶやいた。
 同市で経営していた温泉施設が全壊した橋元宗太郎さん(40)はつぶれた建物の前にろうそくを立てた。常連客が亡くなったといい、「今日と同じで寒かったんだろうなって。悔しい」と声を詰まらせた。「1カ月たってみんな参っている。でも前を向いてまた風呂を提供したい」と話した。
 大規模な火災が起きた同県輪島市の輪島朝市の焼け跡では、関係者13人が集まって黙とうした。朝市組合の冨水長毅組合長は「なんとかこの輪島で朝市を復活させたい」と語った。数珠をつけ手を合わせていたのは親戚を亡くした東克典さん(67)。「つらいです。無念。なんで正月だったのか…。まだ整理が付かない」と涙ぐんだ。
 同県穴水町で母親を亡くした林淳彦さん(62)は、全壊した自宅に向かって、静かに祈った。「助けてあげられなくて本当にごめん。私を守ってくれたのかな。お母さんの分まで頑張って生きていくよ」と告げた。