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残る決断「ここで生きる」 孤立続く集落、夫婦で自活


残る決断「ここで生きる」 孤立続く集落、夫婦で自活 石川県輪島市南志見地区の自宅で番犬と過ごす鴻章子さん(左)と豊彦さん=1月27日
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 「ここが自分の生きる場所」。石川県輪島市の鴻(びしゃご)豊彦さん(69)と妻章子さん(65)夫婦は能登半島地震で発生した孤立集落の一つにとどまる。県が孤立を「実質的に解消した」と説明するのは自活が可能なためだ。自衛隊などの支援も既に終了。湧き水や畑の作物、自家発電などを頼りに「自足生活をしているので生きていける」と故郷に残る決断をした。
 自宅のある南志見(なじみ)地区を記者が訪れたのは1月下旬。市中心部への道が土砂崩れで寸断され、住民はほぼ市外に避難している。鴻さん宅は地区内でも山奥に位置。向かうまでの道は至る所で山から崩れた土砂や倒木が覆う。土砂を避け、雪に隠れた道路の亀裂に気をつけながら30分ほど歩かなければたどり着けない。
 元日の地震で自宅は大きな損傷を免れていた。県の関係者が集落の全5戸を回ってきたのは1月11日。「医療が提供できなくなる」などと避難を求めてきた。豊彦さんは断った。「故郷を離れたくなかった。それにうちにはイノシシ対策の番犬がいる。避難所には連れて行けない」
 寒くなると食料や燃料を備蓄するのはいつもの冬と同じ。付近は毎年のように雪の重さで木が倒れて道がふさがれるためだ。震災時には自宅で作った1年分の米のほか、2カ月分の豆やチーズなどを買いだめしていた。
 電気は太陽光発電や灯油による自家発電でまかない、山で取った薪で暖を取る。湧き水が流れ、風呂も沸かせる。通信手段は家族が持ち込んだ衛星インターネットサービス「スターリンク」で確保し、地震関連の情報も入手。「畑ではネギや大根、キウイなどさまざまな野菜や果物を育てている。生活に不安はなかった」
 豊彦さんは金沢で建築設計士として働き、13年前に夫婦で実家に移り住んだ。祖先が残した自宅の母屋は約150年前の姿がほぼそのまま。明治時代から伝わる農具が保管され、いろりや石窯は今でも料理に使える。
 段々畑の連なる昔から変わらない山の風景と、厳しい自然を生き抜くために先人たちが紡いできた耕作などの生活の知恵。「理屈ではなく、ここが生きる場所」。2人で支え合う覚悟を決めている。