衆院議員を4期務め、内閣府副大臣などを歴任した嘉数知賢氏の訃報に、関係者からは別れを惜しむ声が上がった。
名護市副市長などを務め、嘉数氏と沖縄振興を議論しながら政策を進めてきた末松文信前県議は「沖縄振興に長い間、相当貢献されたと思う。本部町出身で、やんばる地域全体の振興に、特段思いも強かった」と功績をたたえた。
「(末松氏が)名護市役所で勤めていた時代に、米軍普天間飛行場(返還・移設)問題で『しっかりやれよ』と声を掛けられたことが思い出される。半年ほど前に、たまたまお目に掛かったばかりだったので、突然の訃報は残念だ」と話した。
自民県連の島袋大会長は、父が本部町出身という縁から、政治の世界に入る前から嘉数氏と付き合いがあったという。「非常に温厚で、見て学べというタイプだった」と振り返った。
「特に名護以北の人口を増やすために、若者が帰ってくるための雇用や産業をつくろうと尽力された」と悼んだ。
衆院沖縄3区で嘉数氏の後を継いだ比嘉奈津美参院議員は「本島中北部は可能性のある場所だと言っていた。中北部の発展に貢献された方だ。とても残念だ」と話した。
(沖田有吾まとめ)