「今日日中国交正常化52周年。隔世の感。日本のメディアがいかに悪意で喧伝(けんでん)しようが中国は日本には決して攻めてこないでしょう。占領メリットは何もないし、逆に共産党政権の崩壊を招くのは必至。なので防衛費を削り地方の再生・発展を図ることが国家百年の大計に大いに意義がある」。
これは、中国との貿易に取り組んできた元商社員で、現在大学教授をされている方が、小さな勉強会のメンバーに送付したメールの一部である。私はこのメールの見解にほぼ同意見ではあるが、ただ若(も)し台湾問題を契機として、日米が軍事的行動を取ったら、当然中国は日本を攻撃する。そしてその中心は沖縄本島となる。
第二次大戦中から、戦争で最も重要なものは制空権の確保である。制空権を勝ち取ったものが、戦争に勝利する。
では、台湾問題を契機に日米が中国と交戦した場合、どの様な展開になるか。米軍機が途中での給油なしに台湾周辺で交戦し帰って来れる基地は嘉手納米軍基地しかない。従って戦争が始まれば、中国軍が真っ先に攻撃するのは嘉手納米軍基地である。今日のウクライナ戦争では、ロシアはウクライナの軍事基地を攻撃するだけでなく、基地機能を維持する電力や水の供給を断つ攻撃をする。従って中国軍は嘉手納米軍基地を攻撃するだけでなく、周辺の電力設備、貯水池なども攻撃する。
上記の点は、呉江浩(ごこうこう)・駐日中国大使の発言と一致する。
本年5月20日、呉江浩・駐日中国大使が、日本の国会議員約30人が台湾でおこなわれた頼清徳新総統の就任式に出席したことについて、「公然と台湾独立勢力に加担するもの」と非難し、「日本という国が中国分裂を企てる戦車に縛られてしまえば、日本の民衆が火の中に連れ込まれることになる」と述べている。この時、日本の世論は「火の中に連れ込まれる」に猛反発をしたが、呉大使の発言には、「日本という国が中国分裂を企てる戦車に縛られてしまえば」という条件がついている。当時この条件について熟慮したコメントはほとんど出なかった。
ここで、台湾問題を考えてみたい。
1972年、田中角栄首相が訪中し、周恩来首相と共に、日中共同声明に署名した。
田中真紀子氏は、当時を述懐して次の様に述べられている。
「父は長男が死亡してから私を後継者として育てた。父は世界各地に自分を連れて行ってくれて、世界各国の首脳にも会わせてくれた。1972年訪中の時、当然連れて行ってもらえると思ったが、父は、今回は駄目だという。理由を聞くと“自分は第二次大戦中、中国大陸で戦った。自分は、今回は生きて帰れないかもしれない。だから連れていけない”と述べた。」
当時大平外務大臣の秘書官であった藤井宏昭氏は当時を次のように述懐している。
「通常総理の海外訪問には前夜壮行会があった。でもこの訪中では失敗を予想してお通夜のようであった」
田中角栄首相の訪中で、最大の問題は、大戦中、日本軍が中国人民の殺害を行い、国土を破壊したことをどう処理するか―であった。現に一行が訪中してからこの問題の解決が難航した。最終的に周恩来首相の決断によって、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」という文書を入れることによって決着した。
この時、中国は日本に何を求めたか。それは台湾問題である。日中共同声明で「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。」と合意した。その後1978年日中は平和友好条約を結ぶ。ここでは「前記の共同声明(1972年9月発出)が両国間の平和友好関係の基礎となるものであること及び前記の共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認し」とある。
日本は条約で「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である」ことを理解し、尊重するとしているのである。米国もまたほぼ同様の約束を中国との間で行っている。
台湾は、「日中が台湾の独立を支援することがない」ということを認識すれば、独立の動きを強めることはない。
台湾が独立の動きを行わなければ、中国の軍事侵攻はない。
その時には日米が中国と戦うことはない。従って沖縄本土に中国が攻撃することもない。
今中国は、日本を攻撃できるミサイルを2000発位保有していると言われている。これを防御することは不可能である。
沖縄の将来にとって何が必要か。台湾を巡り日米と中国とが戦わないことである。戦えば沖縄本土は攻撃される。
であるならば沖縄がなすべきことは、如何に台湾を巡り、日米と中国が軍事的衝突を行わないようにすることではないか。そしてそれは日中共同声明や日中平和友好条約を守ることにある。
孫崎 享(まごさき・うける) 1943年生まれ。外務省国際情報局長、駐イラン大使などを経て2009年まで防衛大学校教授。著書に「戦後史の正体」「平和を創る道の探求」など。
来月1日、那覇で講演
孫崎享講演「平和的解決をめざして―ウクライナ問題から台湾問題へ―」(主催・沖縄の基地と行政を考える大学人の会)が11月1日午後6時から(開場30分前)、那覇市久茂地のパレットくもじ9階パレット市民劇場で開かれる。第1部は孫崎享さんの講演。第2部は日本とロシアにルーツを持つピアニスト浜野与志男さんの語りと演奏「音楽からみたウクライナとロシアの関係…民族感情を語り、弾く」。入場料(資料代などを含む)は前売り2千円(学生千円)。申し込みはFAXで。番号は098(867)3294。