変わらぬ基地負担 「42年前と訴え同じ」 5・15県民大会


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
「基地は出て行け」などとシュプレヒコールする大会参加者=18日、宜野湾市の市立野球場そば

 当初予定されていた宜野湾市の宜野湾海浜公園屋外劇場から、隣接する市立野球場横に場所を移動して開かれた、平和とくらしを守る県民大会。参加者は3日間の平和行進を通し、復帰から42年たった今も広大な米軍基地が沖縄に置かれ続けていることを肌で実感した。

名護市辺野古への新基地建設や、海外での戦争参加につながる集団的自衛権の行使容認に進む安倍晋三政権。約2100人(主催者発表)の参加者はあらためて政府の姿勢に反対を確認し、平和への連帯を誓った。
 那覇で1時間当たり11ミリ(午後2時)、沖縄市胡屋で7・5ミリ(同)を記録した雨は、県民大会会場の宜野湾市にも降り注いだ。宜野湾市立野球場そばに集まった平和行進参加者や大会参加者は、大粒の雨に打たれながら、あいさつする主催者らを見詰めていた。多くの参加者の頭には、雨がっぱの上から「基地のない沖縄を」と書かれた鉢巻きが巻かれていた。
 雨宿りしながら、行進参加者に「お疲れさま」とねぎらいの声を掛けていた大浜長伸さん(73)=沖縄市。土砂降りの空を見上げながら、「文学的な表現はできないけど。42年前も跳ね上がった土がシャツに付くほどの大雨だったよ」。1972年5月15日。豪雨の中、那覇市の与儀公園で開かれた、政府主催の復帰記念式典に対する抗議集会を、大浜さんは思い出した。「42年たっても沖縄にこんなに基地がある。あのとき、自分たちは復帰の内実を訴えたが、状況は今も変わらない」
 浦添市から参加した新本勝子さん(69)は45年2月、沖縄本島への米軍上陸直前に石垣市で生まれた。自身の沖縄戦に関する記憶はないが、行進しながら、かつて働いていた糸満市のデイサービスで利用者から聞いた沖縄戦の悲惨な話を思い出した。「子どもを兵隊に取られ、亡くすなど戦争に苦しめられた体験者の話を聞き、平和な世の中を願うようになった」。3年ぶりの参加で、その思いを強くしたという。
 「これまで、沖縄はリゾート地としての認識しかなかった」。岡山県から参加した乗本登美枝さん(42)は、沖縄の歴史を学び、初めての平和行進に臨んだ。「右も左にも基地があり、空にはヘリが飛んでいる。岡山でこの現状を多くの人に伝えたい」。話している間、真剣な表情を崩さなかった。