学童疎開を後世に 南風原町、10年ぶり交流事業


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疎開70年の節目の取り組みについて話し合った学童疎開者の集い=16日、南風原文化センター

 沖縄戦前の1944年、国策によって老人、女性、子どもが九州などに疎開してからことしで70年を迎える。疎開体験を継承するために南風原町教育委員会は8月、10年ぶりに町の小学生と体験者が、当時の学童らが疎開した熊本県と宮崎県を訪ねる事業を計画している。

体験者は「自分の体験を子どもたちに伝え、後世に残したい」と思いを語っている。
 南風原町からは、44年8月21日に熊本県へ113人、9月9日に宮崎県へ131人の計244人が疎開した。
 体験者を集めた「学童疎開者の集い」が16日、南風原文化センターで開かれ、体験者20人と70年の節目の取り組みについて話し合った。
 8月20日から24日、「第20回南風原町子ども平和学習交流事業」として町内の小学生12人が熊本県、宮崎県へ当時を追体験するために船で訪ねる予定だ。疎開学童が通った熊本県八代市の日奈久国民学校跡や宮崎県日向市の美々津国民学校跡などを見学。ことし2月、日向市に完成した南風原町学童疎開記念の碑も訪れる。体験者が当時の様子を児童らに語り、現地の子どもたちとの交流も計画されている。
 当時、宮崎県の美々津川で、溺れていた沖縄の人を助けたという地元住民の証言を聞いた大城和子さん(80)=当時10歳=は「私のことだと思う。助けてもらったけど、誰か分からなかった。実際に行ってお礼が言いたい」と話し、同行を希望している。
 熊本県の日奈久国民学校に通っていた赤嶺善助さん(82)は10年前に熊本県、宮崎県に行った。「向こうの人たちに温かく迎えてもらった。当時寝泊まりしていた旅館はそのままだった」と振り返る。「自分の体験を子どもたちに伝え、後世に残した方がいい。つらかった体験を語り、戦争の大変さ、悲惨さを伝えたい」と語り、今回も同行する予定だ。
 南風原文化センターの平良次子学芸員は「体験者の話を子どもたちに伝えないとなかったことになる。体験者が元気な時に、直接話を聞いて、伝えることが大切だ」と話した。(屋嘉部長将)