けが、病越え先発定着 プロハンド選手・銘苅 攻守磨き、価値上げる


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海外で挑戦を続ける銘苅淳=21日、名護市の名桜大

 浦添市出身の銘苅淳(29)が、ハンドボール強豪国ハンガリーのトップリーグで2年目のシーズンを終えた。新たな所属先で高度な要求に応えようと奮闘し、けがや病気で苦しい経験もした。一時帰国した銘苅に2年目のシーズンを振り返ってもらい、今後の目標などを聞いた。(聞き手・大城周子)

 -昨年7月にジョンジョシュへ移籍した。新たな環境での1年はどうだった。
 「いろんなことを経験した1年だった。前のシーズンは、1月のリーグ中断期のコンディションづくりに失敗した。ことしはやり方を変えてトレーニングしたら、今度は足を痛めた。3月には盲腸で入院した。常にどこかに不安を抱えているような1年だった。それでも出場機会が増えたし、病気から復帰した後も先発で使ってもらえた。いい経験はできたと思っている」
 -新天地ではこれまでと違う役割も期待された。
 「センタープレーヤーとして試合をつくってくれと言われた。チームをまとめて攻撃をマネジメントすることが求められた。(リーグ6位の)結果を見れば、力が足りなかったなという気はする。(司令塔の役割は)難しかった。でも、自分の判断をやり抜くことを学んだ。自分の弱みや課題が分かった」
 「ハンガリーの新聞の取材を受けた際に監督が言った言葉がうれしかった。『銘苅はチームスポーツに必要な物を全部持っている。ひた向きで協調性もあり、コートの外ではいつも笑顔だ』と。監督と信頼関係を築けた」
 -海外で2シーズンを経験して変化は。
 「最初は海外選手のやり方にいらいらすることもあった。『あれだけ能力があるからもっとトレーニングすればいいのに』って。だけど、彼らには彼らの、僕は僕のやり方でやるしかない。僕は毎日こつこつやるしか能がない。彼ら以上にやらないと同じステージに立てないし、染まりたくないというプライドもある」
 -今後の予定や目標は。
 「ジョンジョシュの監督は来季も残そうとしてくれたが僕は『残らない』と答えた。監督やチームを変えることが刺激になると思っているから。今は声を掛けてくれた他のチームと交渉中。2019年に熊本である女子世界選手権や20年の東京五輪をスタッフとして目指すことも考えたが、最近は選手として続けたいと思うようになった。一度は日の丸を背負ってプレーしたい」
 「毎年の目標は残留を希望される、チームに必要な選手になること。そのために得点力を磨きたい。一番価値があるのはチームを勝たせる選手。攻撃も守備も含め、全てにおいて価値のある選手になりたい」
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 めかる・あつし 1985年生まれ。港川中で1年生までは野球部、2年生からハンドボールへ転向。那覇西高、筑波大、トヨタ車体を経て、2012年7月からハンガリーへ。所属チームの破産など逆境を越え、1部リーグのケチケメイト、ツェグレド、ジョンジョシュでプレーした。