宜野座さん、祖父に継承誓う 南洋群島慰霊祭


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朝正さんら家族10人の冥福を祈る(左から)宜野座朝基さん、憲一さん、朝靖さん=28日、テニアン島

 【テニアンで当銘寿夫】テニアン島での悲劇を忘れず、次の世代に―。慰霊祭に参加した一人、宜野座憲一さん(62)=那覇市=は28日、次男の朝基さん(35)と三男の朝靖さん(30)を連れて、祖父、朝正さんら10人の家族が亡くなったとされる場所を訪ね、手を合わせた。

曽祖父の最期の場所を訪れたひ孫2人は「ここで起こったことを忘れないようにしたい」と語った。
 戦火に追われた朝正さんら家族10人は島南部の西側海岸近くで、ダイナマイトを使って命を絶った。当時パラオ島の中学校に進学していた長男、朝憲さんだけが残り、朝憲さんは南洋群島帰還者会の会長となって長年、会を率いた。その朝憲さんも2009年6月、墓参団として最後の訪問を終えた直後、亡くなった。
 朝憲さんは生前、「戦争で起きたことを子や孫に引き継ぐことと島の方々と親善交流を深めることを大事にしなさい」と長男、憲一さんに伝えていた。その言葉を守り、70年の節目の年に息子2人を連れてきた。
 朝正さんが亡くなったとされる場所は舗装された道路から約1・6キロ、車で移動し、その後、約10分歩いた山の中にあった。岩壁には朝正さんら10人が、この場所で亡くなったことを示すプレートが設置されている。憲一さんらは水や酒、菓子を供え、手を合わせた。
 憲一さんは「ずっと継いでいくのは本当は難しいと思う」と語りながらも、「息子2人にはここで感じたことを、まだ来ていない(朝正さんの)ひ孫たちに伝えてほしい。今後もできる限り1人、2人と連なって拝みに来たい」と語った。
 朝基さんは「実際に来てみて、こんな山の奥で自決したんだと実感できた。同時に、おじいさんが生きていてくれたからこそ、僕らが存在できているんだなと感謝の気持ちも湧いた」と語った。朝靖さんは「何年かに1度はここを訪ねるようにしたい」と話した。