弁財天堂「手水鉢」片方どこへ 27年以上前から消失


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 首里城公園内の史跡「円覚寺跡」に含まれる「弁財天堂(べざいてんどう)」前で一対になっていた手水(ちょうず)鉢(参拝前に水で手を清めるための鉢)のうちの片方が、少なくとも27年以上前に消失していることが分かった。

3月31日に民主党県連が管理者である県に質問し、発覚した。初めて状況を把握した県文化財課が情報を収集しているが、詳しい消失時期などは不明で、関係者らは「あんな重い物がどうしてなくなったのか」と困惑している。
 現存する片方の鉢はおよそ縦35センチ、横25センチ、高さ60センチで、鹿児島産の火山性岩石造り。1855年に寄進されたとの刻字がある。人力ではびくともせず、度重なる台風でも動いたという記録はない。消失した片方も同様の大きさで、上面中央部にくぼみがあることから、手水鉢として使われていたという見方が強いが、正確な用途は断定されていない。1968年に弁財天堂が復元された際には、両方の設置が確認されている。
 普段から首里城公園内の文化財に足を運ぶ民主党県連幹事長の上里直司さんが、弁財天堂の資料写真を見て片方がなくなっていることに気付いた。上里さんは「文化財はウチナーンチュのアイデンティティーである歴史や文化を体現している大切なものだ」として、県に対応を求めている。
 県教育委員会が発行した84年3月の資料写真には両方とも存在しているが、87年10月に撮影した写真には片方しか写っていない。
 県文化財課の担当者は「県の資料の保管期限が最大20年間で、当時の資料が残っていない。県のOBや学識関係者、(首里城公園の)近郊の人など手掛かりを知っていそうな人に聞いて回っているが、知る人が誰もいないため難航している。(鹿児島産の岩石で造られていることから)岩石研究者で知る人がいるかもしれない」と、引き続き調査を続けている。(長浜良起)

一対の手水鉢と考えられる物のうち、片方だけが無くなっている=15日、那覇市の首里城公園内弁財天堂
1968年に復元された当時の弁財天堂。一対の手水鉢の両方が存在しているのが分かる